我慢不要論
不平不満
どうしてもっと早くこれを改善できないのか、なんて憤ることがある。実はそれがあなたの潜在意識に働きかける大いなるチャンスだね。もっとこうなればいいのに、という奥底の欲求をなぜなぜ分析してみることによって、あなたの本当のしたいことが明らかになることがあるからだ。いつも周りの人に恵まれている状況を心から願っているからこそ、どんな環境に身をおいてもちょっとした不満がすぐさま浮かび上がる。いつも資金繰りを気にしている人は、資金の流れにとびきり敏感になりすぎるがゆえに、あなたが楽しめる投資を躊躇してしまう。あなたの評価が一向に向上しないのは、あなたがそれを気にしすぎるあまり本来のあなたの能力を出し惜しみしていたりする。そうやって、不平不満の正体を少しだけ紐解くだけで、あなたの本来のやりたいことやしたいことの片鱗が見え隠れすることに気づくだろう。だからいつも文句を言っていたり、不満ばかりでちっとも楽しめないのは、楽しんではいけないという他の理由が潜んでいるのが原因だと気づくわけだ。
僥倖
そうであるのならば、表面的な不平不満に着目して、それを解消するという手段はあまり有効ではないね。それは一時的なわかりやすい歪でしかなく、本質はもっとあなたの心の奥底にある。それを神様と呼ぶならそうであり、いつもここだというところで失敗したり、うまくいかなかったりするのは、もはや神様がそうしているからだとまとめたほうが気が楽になるだろう。今はタイミングではないんだな、とかこれがあなたが望んでいたものではないんだな、とかと一旦整理することで、あなたのモヤモヤは少し解消されるという仕組みなわけだ。だから、そんなことばかりで日常が埋まってしまうからこそ、何をやってもうまくいかないし、うまくいったというのに自己肯定感が低いままだったりする。もっとひどくなると、それはたまたまラッキーなだけの奇跡でしかなく、そこにあなたはどこにもいないなどと卑下してしまったりもして手に負えないわけだ。
因果関係
すべては因果関係であり、その犯人探しに躍起になるけれども、ずっと深い奥底にあるからそれを捉えようとしてもそもそも無理な話だね。顕在意識化で認識できることを論ったとしても、実はそこの次元には犯人はいない。すべては潜在意識下にあり、それはあなたが一生かけても少しだけ触れることができるぐらいのものだからだ。だから絶望するのではなく、その構造を意識するだけで、少しばかりあなたの不平不満の元をなんとなく感じることができるだろう。そしてそれは現実の事象として変わった形であなたの眼の前に表出していると知れば、あなたのアプローチは違ったものになっていく。そこに論理的な整合性などはなく、あなたが全く関係のないと思われることをわざわざやることで遠回りながらその感覚を掴むことができるぐらいだ。だから、不平不満を理路整然と説明できるように練りに練ったところで、全く持って解消はされないし、ほとんど無駄だったわけだ。だから心が苦しくなったら、それ以上の理屈はまったくもって不要だから、全く別のことをすることをおすすめするよ。
