100年前とその後
価値観
お金持ちがいいとか、肩書がすごいとか、学歴が優秀だとか、そういうモノサシでこの世は動いている。この国では幼い頃から有名な学校へ受験してまで通う意味は、将来のいい暮らしのためである。それを信じているからこそ、親がこぞって多額の教育費を払おうとするわけで、そうでなければそれを無理してまでやろうとするインセンティブはない。学習塾や習い事もそうだ。生まれ持った能力を信じているからこそ、なにか我が子にとっての伸び代を見つけてあげたいという愛情だと言うことになっている。ところで、最近は長寿であり、人生100年時代とも言われている。ほぼ1世紀生きる前提で考えてみると、既存の制度はまだまだ追いついていない。そして、生きる限りにおいては常に進化し続けないと取り残されてしまうという恐怖感がつきまとい、長生きすればするほど憂鬱になるような社会になりつつある。老後を過ごすのに多額の資金が必要であり、それをなんとかしてそれまでに稼いでおかないとのんびり暮らすことすらできないという、なんだかまさに世知辛い状態は少し前の時代とは変わらないね。
大転換
これまでの常識が通用しないことはなんとなくわかってはいる。だからといって、それがなにかを明確にするところまでには至っていない。だからこれまでの大人の価値観をフル活用して子の未来を考えるわけだ。おそらくは全く異なる時代を生きるとは思いつつも、損ではないとされるこれまでの価値観を適用して判断するしか他に方法はないというところが本音だろう。だからいつまでも慣習となっているようなことしか与えることができない。そしてそれがおそらくなんの役にも立たないとしても、今できる精一杯のことをしたという自己満足で納得するしかないわけだ。多くの場合、だからといって何もしないとか、あなたがこれまでやってもないことをやるというのはとても大きな勇気が必要となる。だから経験として知っていることをありったけの思いで、次世代に伝えることしか選択肢が無いね。もちろん、先進的になにかあたらしいことにチャレンジしてみるというのもありだけれども、その結果は残念ながらあなたの目が黒いうちには見ることができないわけだ。
不安
しかしながら、ちょっと前の時代の人からすれば、今の世の中はとても安定していて、退屈に見えるだろう。ヒリヒリとした誰かにもしかしたらやられてしまうというような、緊張感もないし、下剋上のようなこともないし、すぐにどこかで争い事が起こるということも少なくなった。もちろんいまだに戦っている国はあるし、戦争というものが完全になくなった瞬間はない。しかしながら多くの場合は、治安が多少不安定でも、物資の不足が起こっても、それによって政府や国が転覆するほどの事象は比較的に少なくなったといえるね。それほど豊かな時代においては、新たな戦いとしてはおそらくSNSやネットワーク上の小競り合いに変わっているようだ。ということで昔が良かったとか今が退屈という単純な比較でなにかを類推することすら困難だろう。何か起きるかわからないという確率は、実のところ大昔の戦国時代や世界大戦のときとそれほど変わっていないのかもしれないね。だから今何ができるかを、賢明に探し回っている状況がなくならないというわけだ。
