問い続けること

日々

勝敗

人生は勝ったり負けたりを繰り返しているように見える。けれども、実のところは何も起きていない。ならばなぜそう見えるのかというと誰かと比べ続けているからだね。それをやめれば何も起こらないわけだけれども、それはあなたにとってとても退屈で、生きている実感というか変化が乏しくて生きる意味そのものを見失ってしまうぐらいだ。だから誰に頼まれてもいないのに、あなたが一人相撲をし続けて人生を謳歌しているとも言えるね。だから勝負事や評価はそのためのエッセンスというかスパイスみたいなもので、まさに人生の隠し味とも言える。特になくてもどうってことはないんだけれども、それがあればよりくっきりと輪郭を感じられるから、ハマるとクセになるね。人生は苦みだったり辛味なんかがあった方が、より豊かで幸せな気分で過ごすことができるから、あなたはそれを手放すことがなかなかできないわけだし、それで豊かな起伏を感じられるのならばそれでいいね。

拘泥

そんなスパイスも匙加減を間違えると、とんでもないことになる。だからその塩梅をあなたなりに調整できる力がつけばいい。それを能力とかスキルとか呼んでいるわけだ。ちょうどいいぐらいの刺激のバランスを取れると、あなたはとても快適に過ごすことができるね。入れすぎても、なさすぎても物足りないからね。ところがそればかりが目的化してしまうと、おかしなことが起こるのはあなたもこれまでずっと体験してきただろう。本来は楽しむことであり、豊かで楽しい経験を積み重ねるためのそれであったのに、それ自体を目的にしてしまうと、楽しさが減ってしまうね。そのためにはすべては限定条件があるということを忘れないようにしないといけない。刺激ばかりを追い求めてしまうと、その効果ばかりに注目してしまって本末転倒になって終わるわけだ。なぜそうなりがちかというと、前提条件として間違いなく、あなたはすでにとても幸せでありすぎるからだ。

主体性

だから、ルールはそのためにあるものだし、もっと言えばそのために作ったものだね。だからルールを一旦は受け入れて守ることが重視されるわけだ。けれどもそのルールを無思考で所与の条件だと思うだけでは、次のステージには行けない。だから常になぜそうなっているのか、それを守らなかったらどうなるのか、という問いを常に持っておくのも大事なことだね。すなわち二枚舌みたいなもので、ルールは厳格に遵守しなければならないという審判の役と、なぜそんなルールに縛られているのかというプレイヤーの役を同時に引き受けられるといいね。世間で注目されたり、活躍している様子を観察してみると、実のところそれまで誰も気にしていなかったそれらを、書き換えることができた人がそうなっている。ルールや誰かの指示にはそうでなければ困ってしまうことがある一方で、そうでなくても影響のないものや、さらに良くなることの余地がそこにあるわけだ。その問いを続けられる力がメタ認知と呼ばれるものだね。