シンプルはベストなのか

日々

視座

現実はあなたがそれをどう見るかで決まっている。そしてそれはあなたにとっては絶対値のように見えるけれども、他人にとってはそうではないことが多いね。あなたにとって辛い毎日は、誰かにとってはワクワクした日々だし、あなたにとっての夢は壮大であっても、誰かにとっては取るに足らないことだったりする。そういうギャップにいちいち一喜一憂しているわけだ。もともとは、あなたがそう思いたいという願いからあなたの現実という幻想が生まれ、それを楽しめば良いだけのことなのに、誰かと比べることで、意気消沈したり憤慨したりしている。こうあるべき、とは絶対値ではなく、それぞれの世界そのものなんだとすれば、それほど気にもならなくなるはずなのにね。あなたがカレーライスが大好きだけれども、誰かはハヤシライスのほうが良いという。そんなことであなたの心が乱されることはないのと同じで、誰かにとっての現実は、あなたにとってはどうでもいいことなんだ。そしてそういう差違をどう落とし込むかが社会システムとなっているわけだね。

複雑化

そもそも生物としての成長とか進化は、単純から複雑になっていくことであるに違いない。あなたも元は受精卵から始まって、膨大な分裂を経てヒトに成長してきたわけだ。そして脳細胞はその絶対数は減少するも、そのつながりの複雑化によってこれまで対応できなかった問題の落としどころを探るまでになったわけだ。ただ現代社会においては、それを単純化することが流行っている。そして複雑な問題をシンプルにまとめることが能力だと勘違いされているから、難しいことを難しいままにしておくことが、頭悪い人の典型だと忌み嫌われるようだ。答えをすぐさま探すクセや、正解やベストプラクティスを早急に求めるようになってからは、そういった苦行のような調整や対話はコスパ最低だとされてしまった。その結果どうだろう。ちょっとした比喩表現や、数行程度の文脈を読み取る力がどんどん失われてしまった。なんでもない毎日に歴史的背景を重ね合わせる力も薄れ、わかりやすい娯楽におぼれて、ある意味従順で面倒なことはお上が決めれば良いというロボットのような人が増えたわけだ。

一言

長い文章を読み解く力が失われ、ノンバーバルなコミュニケーションを感じ取る力もなく、単に記号化されたわかりやすい数語でないと理解すらできないようになった。その数行を巡って情緒的な言葉を重ねてしまうから、結局のところ何も生まれない、議論にすらならない罵詈雑言がネットワークを駆け巡るようになってしまったね。そしてそれは中身は空っぽだけれども、劇薬並みの感情を揺さぶる情報となり、あなたを虜にしてしまうわけだ。刺激が強すぎてそこから離れがたくなってしまって、もはや生活の一部であり、あなたの世界の大部分を占めるようになってしまった。その結果、あなたは単純なわかりやすい疑似的な結論を選びがちになっていくわけだ。けれどもそれすらあなたは知らないままでいるわけだね。いわゆる自覚症状は皆無だし、なんなら情弱ではなく情報通の方だと自負してしまう傾向にある。なんでも知っているあなたはますます最新の正解をキャッチアップしないといけないという義務感から、どんどん沼にハマってしまうわけだ。単純化された世界は、もはや止められないのだろうか。