備えあれば
時が来たら
まぁ、だいたいは何もしていないときに焦ったり不安になったり、まだ起きてもないことにあれこれと対策しなきゃと思ったりと頭の中の思考だけが大忙しだね。でも実際は寝っ転がりながらとか、家族と夕食を食べているんじゃないかな。そう、特に何かをしているわけではない。そういうときは、時がくればそれなりに動いて対応すればいいと大忙しの頭の中に伝えてあげたらいいね。だって、まだ何も起きていないんだからね。え?そんな悠長なこと言ってたら、トラブルが起きたときに対応できなくなるよって?大丈夫だよ。その時がくれば何らかの対応をしているから。だって今までもそうだったからね。そもそも起きてもないことの対策ってどこまで何をするの?「備えあれば憂いなし」とは言うけれど、その「備え」はどこまでやれば「憂い」は消えてなくなるのかな。備えるとしたら、「なるようになるさ」と安心することが一番だと思うけれど。
呑気すぎる
そんな呑気なことでは、万が一に耐えられないよって?万が一って万が一でしょ。そんなに起こらないってことだよね。なら、万が一に備えるよりも、今を楽しく過ごすことを考えた方がいいんじゃないかな。たぶんそれがいざとなったときに一番の対策のような気がするよ。だって、いつも汲々としていては、柔軟な発想とか、普段なら難なくこなせるようなことができなくなってしまうからね。たぶん普段は無意識に処理できるようなことさえ、もうパニックになって何もできないようになるだろうね。だから備えっていうのは、そういう時でも落ち着いていつもの通りに、靴を履くぐらい自然に問題に対処できるようにするってことだよ。だからほら、結局今は何もしないってことが一番の備えになるってことだよ。
特殊能力
人って面白い存在で、まだ見ぬことを想像したりしてその場で作り出すことができるよね。実際の目の前に起きていることよりも、その一手先、二手先を考えて妄想することができる。まさにこれは人に与えられた特殊能力だよね。その特殊能力があったからこそ、現代の社会が出来上がったわけだね。もしものために、わからない未来のために、将来のために、と真剣に考えることができる。だから今を楽しむよりも、将来のために今は我慢するということが自然にできる変な生き物とも言えるね。要するに、目の前のことを信じることなく、起きてもないことを信じることができるし、信じさせることもできる。一人で妄想しているだけでは何も起こらないけれど、それが仲間を巻き込んだり、さらにはご近所さんも加わったりすれば、あっという間に村の掟ができあがってしまうね。そうやって本当じゃないことを本当のようにみんなでせーのって信じているのが今の社会だよ。悪いことじゃないね。だってその能力のおかげでこれだけ技術が発展して便利な世の中になったんだからね。
ほっと安心する
ただ気をつけないといけないのは、その能力が過ぎるせいで頭の中の世の中がとんでもなく大荒れになりがちってことだよ。ついつい、先読みし過ぎて何もやってもないのに疲れちゃう傾向があるから、そこだけは注意だね。だから、あー、こうなったらどうしようと不安になったときは、今に戻してあげてね。「それまだ起きてないよ」って言ってあげるのと、「大概のことは対処してきたじゃないの?」と安心させてあげよう。安心というのは「このまま何もしなくても大丈夫、あなたは守られているからね」って信じることだよ。起きてもないことを信じられるなら、同じことだからきっとできるよ。