危ない橋は渡らない
推測
たぶんこうだろうとあなたは推測する。そしてそのとおりになったりならなかったりするわけだ。その想像の域を超えるか超えないかは、その推論の精度そのものが原因だと思っている。けれども実はそうではなく、推論とはあなたが知る範囲の寄せ集めでできているわけだから、その経験が豊富にあるのか、そうでないのかというところも関わっているわけだ。もちろん、たくさんの知見や経験があったとしても、それでうまくいくとは限らない。けれどもそれが多ければ多いほどあなたの推論は的中とまでは言えなくても、おおよその流れはそうであったりする。一方で、あなたがそれをあまり知らない状況でのたぶんこうなるのかな、ぐらいなものだとそもそもの前提条件が不十分だから、全く外れてしまうことが多いだろう。だからいろんなことを類推する力というのは、普段からいろんなことをやり続けているという姿勢に依存するわけだ。もちろん推論そのものが例えば全くダメでも何ら問題はないのは、それが初めての経験であり、そこから少しずつ積み上がっていく最初の第一歩となるわけだから、むしろショボい推論であってもどんどん間違いを恐れずに立てていくことがその後の精度が上がっていく唯一の方法なんだとすれば、むしろそれは歓迎すべきことだとも言えるね。
当てずっぽう
なら、そんな当てずっぽうでやっていけと言うのか、という反論があるだろう。そう、最初は誰もが当てずっぽうなわけだ。どうなるかわからないことをあれこれと考えたところで、そもそもの判断材料が乏しいわけだから仕方がないことだ。だからとりあえずやってみる、という行動しか選択肢がないわけだ。そして実のところそうやって当てずっぽうでいい加減でとりあえずやってみることを繰り返した先に、推論が成立する材料が集まるわけだ。そういう意味でも、トンチンカンであってもいいので行動するということが最強の処世術につながるとも言えるね。もちろんその間違え方をまさに間違えると、とんでもないことになる恐れがある。だからやっぱりある程度慎重にならざるを得ない状況を想定することは避けられない。けれども、その感覚もとりあえず危なかっしくともやってみないと始まらないわけだ。そのなんでもチャレンジしてみるという姿勢と行動には、リスクを軽減する最低限の方法を知っておくと、より行動に移すことが可能となるわけだ。そのコツとしてはまずは小さく始めてみるということに尽きるね。
勇敢
多少の傷を負いながらも、それが致死量には至らないところで止められることができること。あるいはそこまで大げさではなくても、間違ったとしても取り返すことができる程度の塩梅を見つけることができることが、チャレンジするという勇敢さを支えている。そんな馬鹿なことをして、と後で笑い話になる程度のところでとどめておかないと、それこそ一発命取りなことだと洒落にもならないね。無謀さと勇敢さは紙一重なんだけれども、なんでもやってみよう、なんて気軽に言ってはいけないところもあるわけだ。しかしながらそこまでのことではなくても、あまりに慎重になりすぎてなんにもやらないようになってしまうのはなぜか。単に失敗したら格好が悪いとか、誰かに怒られるの嫌だとか、そもそも面倒だとか、そんな理由に変化してしまうからだね。無駄なことをしたくない、というのは生物の生存本能であり、それをあえて生命を掛けてまでやる必然性があるのかということを天秤にかけて常に判断しているわけだ。そう何もしなくても安全で食べていけるようになった時代においては、チャレンジすること自体の価値は低下しているとも言えるね。そうするとリスク予測能力も失って、冒険する計画すらたてられなくなっていくわけだ。
