おこりんぼう
洞察
何らかの固定観念を排除して、表面的な事象にとらわれず、感情を一切排除して深く物事を考察する力のことを洞察力と言ったりするね。けれども、これは現実にはかなり難しくて、本来の意味での洞察力を身につけることはとてもじゃないけれども無理ゲーのように思えるだろう。いつもはほとんどが感情で右往左往しているはずだし、どうしてそれは怒っているのかとか悲しいのかとか理由はあるようでないことばかりだ。直感的に腹が立ったり、なんとなく嫌な気分に支配されたりし続けているのがほとんどだからだ。そしてそのままでは正当性というか、自分勝手なわがままと思われないようにあとづけでなんとかその理屈をこねくり回しているわけだ。それもなんとなくうまくいったら、ますますその感情に支配されて、なんならこれほどまでに真っ当で公平な判断ができるのはあなたしかいない、なんて思い上がってしまって、ますますそのスタンスから身を引けなくなる。それがメタ認知を妨げる主要原因だということすら、もはや耳を傾けることはできなくなってしまっている状態だね。
激昂
そうなると肉体的にも反応が固定されて、声を荒げたりしてますますヒートアップしてしまい、それも突き詰めるとそうなった自分自身を他のあなたが見ていたりする。だから感情も極端に振れてもはやコントロールできないぐらいに膨れ上がってしまうと、もはやあなたが分離するほどになったりする経験があるだろう。怒りに震えながらも、一方で冷静なあなたがその様子をつぶさに観察していたりして、まさに分裂している状態となる。それもそのはずで、脳ははじめ小さな違和感をもって、それが感情を揺さぶっただけであって、それを増幅しずぎて暴走しているのは肉体の方だけだからだ。だから古来から腹が立つとか、怒り心頭に達するとか、そんな表現があるわけだ。感情の起爆剤はほんの小さな信号からくるものであっても、それを増幅するのは肉体だったりするみたいだね。そしてそれがどんどん大きくなりすぎて抑えが効かなくなる。短気は損気なんて言う言葉も、そんな日常の感情コントロールがいかに難しいかを体現した言葉だろう。ついカッとなってやってしまう行動は、それこそ自分でもびっくりするぐらい取り返しのつかない不可逆的な行動を取るわけだ。
感情
ならそもそもなぜそんな状態に陥るような精神構造を持っているのか、ということを考えてみる。感情に流されたり支配されたりするのは、それがおそらくは人類における生存本能によるものだと仮説を立ててみよう。そうすることで、少なくとも共通のことが浮かび上がるわけだ。一つは火事場の馬鹿力と呼ばれる緊急事態において、もはや思考は追いつかずに肉体的反応によって引き出される凄まじい行動力だ。おそらく脳がどうのこうのと指示を出してどうにかなるようなものではないことは体験があるのならわかるだろう。これは生存本能そのものが何も介在せずに発動した結果だと考えられている。もう一つは、感情を全面的に表現することにより、他人の同情と共感を引き出す過剰な演出であるということだ。そのことによって、あなたは孤立無援、多勢に無勢という状況を回避するシグナルとなるわけだ。そしてそのシグナルは伝播して群れをなし、強大な生き残り戦略が即座に生み出すことが可能となるわけだ。その理由と仕組みをまずは知ることで、もう少し上手に人生戦略を書き換えることができるかもしれないね。
