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日々

知っていること

あなたは、生まれてから学習したことを知識として蓄えてきた。そしてそれらを駆使することで、良い悪いを判断するモノサシを手にしたわけだ。これはあくまでも後天的であり、それ故に文化や地域や国によって少し違ったものになるわけだ。だから絶対的な善悪というのは本能とは違うなにかでできていることを少しだけ思い出すといいね。一方で、生まれながらにして知っていることがある。それを本能と呼び、例えば母乳を飲むということや、誰かに惹かれたりするのは、特段教えられたわけではない。あるいは成長した個体が丸いものをかわいいと思って愛おしく感じるのも、誰かに教えられたというものではなく、多少の差違はあるけれども、一般的には攻撃対象ではないという認識となるのもそういうことだね。守られる状態や守るべきものという、生き残りをかけた戦略はすでに埋め込まれた状態であることには間違いないといえるわけだ。だから後天的に知り得た情報というのは、ある意味時代ととも変化してきたものであり、絶対的な何かではないし、それこそ国が違って文化や慣習が違えば大きく異なることを体験するわけだ。

知り得たこと

そうやってもともと知っていることと、後で知り得たことは大きな隔たりがあるということだ。だから、あんまり後で知り得たことに依存するのは、得策ではないときがあるのはそういう理由からだね。もちろんその地域によって重要なものに関してはそれに従うのが、ある意味で後天的なサバイバル戦略とも言える。だから、それを絶対値として扱うのもやむを得ないだろう。ただし、場所が変わればその絶対値を変更しないと軋轢が生まれてうまくいかないわけだ。ましてや同じ場所に暮らしていたとしても、時代にともに変遷していくその価値観にしたがって変えていかないといけないのもわかるだろう。ただし、一度慣習化したそれを変えるのは骨が折れるのも事実だね。それがいわゆる時代錯誤というか、昭和だとか言われて揶揄されてしまう要因となっているわけだ。慣れ親しんだ慣習をいきなり変えるのには、多少の努力とそれに対応する時間がかかるわけだから、面倒だと思うことがあるのも否めない。そういったズレというかギャップがあなたを苦しめている場合もあるね。

知識偏重

そうやって知り得た知識にばかり依存することが、ある意味リスクを伴うのはそういう仕組みだからだね。どんどん変化していく流れに乗れるかどうかが、幸せに過ごせるかどうかの分水嶺となる。だから、あまりに固執したり、かといって投げやりになったりするのもできれば避けたほうがいい。年齢を重ねるうちに、そうやって柔軟性を失っていくのも、これまで得た知識に振り回されていることが原因の一つだ。できればそれらをすべてリセットするぐらいのエネルギーを持っていればまだマシなんだけれども、もはやそのエネルギーすら捻出するに困難な状況であったりするから厄介な話だ。常に人生は学び直しが必要だなんて言われたところで、あなたからすれば十分これまで苦労して学んできたのだからね。人生死ぬまで学ぶことが必要だと頭でわかりつつも、気力、体力がどんどん失われていく中で、それを維持するのも酷な話だろう。だから真正面からそれをやるには無理だとしても、ちょっと斜めからアプローチする知恵はあるはずだ。それは、とにかくワクワクすることを探し続けてやることだね。それだけであなたの古い知識がアップデートされていくはずだ。それを忘れないようにするだけで、思わぬアップデートを受けいれることになるわけだ。