豊かさと平和

日々

一攫千金

今や貯蓄よりも投資の時代だね。これまではコツコツと貯金をして、少ないながらももしものために無駄遣いを避けてきたわけだ。それがある意味美徳であり、清貧なんていう言葉が使われたときもある。ところが今はコツコツと貯金しようにも、それほど多くの金額を回せるほどでもなく、さらにはその先送りの対価としての金利も雀の涙だね。それでも爪に火を灯して、なんとかやりくりをしてかき集めた資金を、貯蓄に回すよりも投資に回そうという流れとなったわけだ。それで将来のお金の不安をなんとか解消しようと必死になっているわけだけれども、人生のほとんどがそれで費やされるのもおかしな話だろう。そしてそこまで我慢したところで、そもそも資本主義の大前提である元手がたいしたことがなければ、焼け石に水となる。それなら今できることを体験するために、全部使ってしまう方が人生経験としては価値が生まれることもあるだろう。そのバランスについていつも頭を悩ませながらも、結局のところ思い切って何かを始めたりすることすら億劫となってしまっているね。

経済状況

ほとんどの苦悩がお金のやりくりで人生を終える社会になって、久しいわけだけれども、もともとお金に恵まれている環境と、そうでない環境の格差がどんどん広がっていると言われているわけだ。物価が上がって、給料も連動して上がれば問題ないのだけれども、なぜか収入は少し遅れて増える傾向にある。そうであればまだしも、多くの人は物価の上昇分の賃金を得られていないわけだ。もちろん旧来の経済理論で言えば、経済発展するときはややインフレの状態となるとされている。だから物価が上がることは豊かさの指標であると捉えられるわけで、これまでのデノミよりも好ましい状況だと判断されているのだろう。外国為替における円の相場もどんどん安くなって、さらに追い打ちをかけているように見える。国力が上がって物価が上昇するのであれば、経済発展の局面だと見ることができる。けれども国際的に円相場が円安となっている傾向においては、問題はそうシンプルではない局面だともいえるかもしれないね。

豊かさ

結局のところ、豊かさとはなにかという問題に帰するわけだ。お金持ちが世界を牛耳っていて、そうでもない一般庶民は搾取される対象である。そんな古ぼけた思想もまた復活しそうな感じの状態だね。さらにはいまだに大国は戦争を仕掛けて、それによる商売を目論んでいたりする。そもそもお金を生み出すには、何か大掛かりな破壊や修復によるものが手っ取り早いわけだ。これからもおそらくは大きなことをどんどん仕掛けられていく社会となっていくだろう。けれどもそれらの源泉はすべて誰が得をするのか、という経済的な駆け引きとなるのはずっと前から変わらないようだね。誰が豊かになるというよりも、みんなが豊かになるという理想は、もはや現代社会においては絵空事であり、これまでもこれからもたいしてそれは変わらないのだろう。そうして人類という仮想の存在はやがて滅びていくのかもしれない。地球上の生命の一部がそうなったところで、しかしながらそれも運命というか宿命としてほんの一瞬の夢物語として終わるのかもしれないね。