もしかしてはない

日々

若さ

若いときには、若さがそれほど重大な要素だということをしらないわけだ。あなたのそれの例外ではなく、歳を重ねた今だからこそ、その意味を理解することができたわけだ。だから、若者に何かを言いたいという気持ちはわかるけれども、それはたいていは無駄となる。なぜならあなたもその言葉をたくさん聞いてきたはずなんだけれども、その当時はそれがどういう意味を持つのかということも知ることはできなかったからだ。それぐらい若さはいわば特殊能力でもあったわけだけれども、その渦中にいるときにはそれが当たり前というか前提条件として成立しているのため、それが特殊ななにかだなんてわかることすら難しいわけだ。大抵の場合は、失って初めてその有り難さがわかるわけだからだね。それは若さだけではなく、あなたがむしろ当然だと思って気にも掛けないことにすべて当てはまるわけだから、そういう意味ではとてもおっかないことでもあるわけだ。想像すら困難なことをあなたは常に抱えていて、あなたの日常の当たり前のことが尽くできなくなっているとすれば、安心して夜も眠れない不安に覆い尽くされるのも無理はないね。

日常

そういう意味では、なんてことのない日常がある意味特別なことだと、なんとなく知ることになる。でもまだそれができている以上、それほどの実感はないね。おそらくそれを痛感するのは、それができなくなったときであり、そのときまでぼんやりとそうかもしれないな、なんて牧歌的に思っているに過ぎない。だから大抵の場合は、後悔することになるわけだけれども、だからといってそれを有り難いことだと無理やり思いなさいというのもナンセンスだろう。あなたは今はまだそれがなんの支障もなくできることなんだから、それを特別になにかを思うなんていうのはそれこそ無駄であり、必要のないことの一つだからだ。ここでの要点は、それが永遠にずっとできることではないという事実だけだ。それはまさにそうなったときに考えればいいことであって、まだそうなってもいないことに対して恐れを抱くことは、プラスどころか余計なことになってしまってマイナス要因となる。それも牧歌的に考えれば、そうなったときに初めて真摯に取り組めばいい問題であって、まだ起きてもないことを想定することは全く必要性はないのだからね。

変化

そうやって今までできていたことが、いずれできなくなるときが来るのは間違いないわけだ。だからといってまだそうなってもいないのに、あれこれと不安に感じるのも余計なことだ。すなわち今考慮するべきことに注力すればいいだけのことで、まだ起きてもないことまでをどうのこうのと逡巡するのはやりすぎだとも言えるね。いずれはすべてが終わるときを迎えることになるわけだけれども、それがいつ起こるかどうかもわからないわけだから、それに向けての心の準備は必要かどうかという議論になるわけだけれども、いつ起こるかわからないことをあれこれと議論したところで、いわゆる絵空事になってしまう。もちろんそれは確実に来る未来だとしても、今できるのはそれの備えではない。さらにいえば十分に備えようと事前に対策を講じたとしても、結局のところ終わるのだからそれを発動することすらできないことがほとんどだろう。だったらそれよりも今を楽しむことを考える方が前向きに生きる原動力となるに違いないわけだね。