そこにいて良い理由

日々

未完成

あなたは完璧な人ではない。だからこそ、そこにいる必然性があるわけだ。もしあなたが全能の神であるならば、あなた一人でいいのだからね。それぞれ得意不得意があって、あなたは単なる出来損ないでポンコツだからこそ、あなたはそこに必要なんだよ。そんなこと言われてもにわかに信じられないだろう。けれども、そうやって少しずつ持ち寄って全体として1となるわけだから、それで全く問題はない。出来損ないがいることが迷惑だとか、それで誰かの足を引っ張ってしまうから消えてしまえばいいとか、そんな風に論じられることが多いだろうけれども、それは全く持って勘違いだと言って良い。なぜなら、もし仮に神様があなただとしたら、あなた以外はすべて不要となるからだ。そんなことはなく、どれだけ優れている人であっても、どれだけポンコツであっても、そこにいるからこそのその特性が際立つわけだからね。そして、すべてがエリートで優秀で何でも卒なくこなすような人が集まっているのなら、それ自体が自己矛盾を孕んでしまうね。そう、優秀さとか有用さというのは、そうでない人がいるからこその概念であり、それがもしなくなってしまうならばこの世から優秀さというものさしすら消滅してしまうわけだよ。

凡庸

逆に言えば、とりわけ優秀でもなく、かといって全てにおいて無駄でもなく生きているあなたは、極めてレアキャラであることには違いないとも言える。なぜなら、それほどまでにバランスというか均衡している能力を兼ね備える存在というのは、そうそう見当たらないからだ。だからこそ、いろんなピースに出会える可能性が大きくなり、あなた自身もどんどん移り変わっていく機会がそこに生まれるわけだからね。もちろんその全てを今すぐどうにかするなんていうことはできないようになっているのも、世界があらゆることを包含することを意味しているわけだし、その一部としてあなたもそこにいるのだからね。だから、なにかできないことばかりを気にして生きることは、あまり得策とは言えないわけだ。そんなことよりも、あなたができることを見つけるということの方が、社会全体としての向上に役立つわけだし、そのためにあなたはいろんな体験をしているとも言える。だから、結論としては、そのままでいいのだ、というようななんともケツの座りの悪い言葉があるわけだよ。そしてそれは、だからといって皆にそのままでいなさいと命令しているものでもなく、そのまま変わり続けなさいと言う意味を含んだ言葉だとも言えるわけだ。

恣意

だから身も蓋もないことを言えば、あなたは、誰にどれだけ言われようとも、何が邪魔しようとも、結局のところあなたがやりたいように生きるしか術はないわけだ。もちろんあなたの中では大きな葛藤がそこにあって、本当はこれがしたい、こうしたいのに、それを許さないいろんな諸事情があって妥協しているだろう。でもそれも、それがあなたが今選択しているというか、選択せざるを得ないということだ。もちろんその制限がなければもっと自由に生きていると断言できるかもしれない。けれども本当にそうなったら、そのとおりに生きているかどうかはあなたも含めてだれにもわからないことだね。そうなってみないと誰もが知る由もないからだ。いやいや、絶対そうすると心に強く決めていたとしても、だったらそうしたら次はどうなるか、ということに関しては未知数のままだ。全部たらればということになって、あなたですらそれを証明することすらできないわけだ。もちろん状況が改善することをずっと待ち望んでいることだろう。でもそれがそうなったとして、あなたがそれで完成されたなにかになるなんていうのは、あなた自身すら心の底から信じることすら難しいね。やってみないとわからないことは、やってみることでしか確認できないのだからね。