奇跡の光の中で
記憶
あなたは過去の記憶を自動的に繰り返し再生している。だから、もう終わったことなのに、終わらないで今でもずっと続いているような錯覚を感じている。だから、いつまで経ってもその古傷は癒えず、ずっと苦しいままでいるわけだ。でも、それはもうすでに終わったことだから、いつまでもそれをあえて再生し続けることなんて今どきで言うと無駄な極地なんだけれども、なぜかあなたはそれに対してはコスパとかタイパとか言わないままでいるね。過去の悔しさは、そのときに十分感じたわけだから、それ以上は明らかに過剰だ。それを無意識的にずっと繰り返し再生するのをやめたほうが絶対いいね。でもそういう傾向にあるということは、何らかの理由があるかもしれない。逆に言えば過去の栄光にいつまでもしがみつくのも同じことだと言える。あのときのあなたは最高だった、という自慢話を何度も繰り返してしまうのも、同じ構造にあるのかもしれない。すなわち、あなたはずっと今ではなく、過去のなにかに囚われてしまって、今をおろそかにしてしまうクセがあるわけだ。だから完全に切り離せと言わないまでも、そのクセを少しばかり直した方がいいだろう。
今
とにかく今を大切にせよ、と先人は言う理由はそういうクセを強く持ち続ける人が多いからだろう。もう終わった失敗は、いくら悔やんでも取り戻すことはできない。けれどもなんとか名誉挽回できるんじゃないかと、あれこれと思案してなんとか打開策を見つけようとする。その背景には、あなたが誰かにつまらない人だと思われたくないという強いプライドがそこにあるわけだ。そんなものを捨ててしまえば、とっても楽になるのはわかっている。けれども、どうにもこうにもそれがそう言われるほど簡単ではないということだ。なら、どうしてそれほどまでにあなたがどう見られるかばかりを気にしてしまうのかということを鑑みるに、社会生活におけるあなたのポジションを維持することが、その世界での安寧となるからだね。一方で、あなたが思っているほどあなたに興味を持っている人は皆無だ。だからあなたが他人の顔色ばかり気にしすぎるのは、コスパやタイパにおいて最も効果が薄いという事実がそこにある。でも、なぜかあなたほどのコスト意識が高い人はいないというのに、そのことに気が付かない構造がそこにあるわけだ。
自我
それぐらいあなたはあなただけに注目をしてほしいし、拍手喝采を浴びたいし、称賛されたいと真剣に、しかもかなり強く思っているわけだ。その裏には、あなたが今ここに生きているという実感を得るためであり、そしてそれができればいるだけではなく、何かの役に立っているという確証が欲しいわけだ。それほどまでに生きるということは、単にそこにいるという事実だけでは物足りなさを感じる行為なんだろう。仮に誰の役にも立たないとしても、単に生きる限りにおいてそこにいるだけで十分だ、という論説は、あなたにとっては綺麗事の一つに過ぎないわけだね。さらに言えば、何らかの障害を持って生まれてきたことで、生きる時間はすべて誰かの支援がないと生きていけないとなると、もはやお先真っ暗と感じてしまうね。でも、そもそも同じ時間にここにいるということが、どれだけの奇跡であり、僥倖であるかを考えてみれば、そんなことは取るに足りないものだとわかるだろう。それぐらいの奇跡であなたがいると知れば、おそらくは何も言えなくなるはずだね。
