もしかしたらという畏怖

日々

真実

真実は一つ、なんていうことを言うアニメがあるけれども、真実は実のところ一つではない。いやいや、真実は一つでないと何かと混乱してしまって、収集がつかないだろうという反論はわかる。けれども、実際真実というものはそう簡単に一つに収束してくれることはないね。いろんな正解があり、多様な真実があるわけだ。もちろん科学はその中でも原理を抽出しようとして奮闘してきた歴史がそこにあるし、特に物理学の原理については、それがあるからこそ飛行機も安全に運行できているわけだ。しかしながら残念ながら想定外や予想外のことも実際には起きていて、その原理とやらを駆使したところでうまくいかないときも稀にあるね。おおよその原理はそのとおりであり、それに逆らって何かをしようとしたところでうまくいかないのは真実だ。けれどもその真実に則っていればなんら問題が発生しないとは、なかなかならない。特に社会学的な経済理論も数学をなぞって社会構造の真実を解き明かそうとした試みではあるものの、そのとおりに動くとは限らないような複雑化した時代になっているわけだ。

見ている世界

まだ見えている世界ではなんとか使える真実であっても、見えない微小な世界や広大すぎて想像も及ばない宇宙規模の世界において、共通の原理は見つからない。だからいろいろなイレギュラーな原理を適用せざるを得ない状況だね。おそらくは見えている世界を説明するのには、ほとんど使えそうな原理を見つけたとしても、見えてない世界については全く持ってお手上げの状態だと言っていいだろう。もちろん、それは思考実験であって、実際に検証することがとても困難だからという理由もある。けれども、それが万が一可能であったとしても、それが実際の見えている世界の謎を解き明かすというインパクトは、それほどではない。なぜなら仮にそれがそうであったとしても、あなたが毎日を過ごす世界においてはなんら影響がないところが大きいわけだからね。ミクロの世界ではそうなっているとか、マクロの世界では実はこういうことだ、と言われたところで、あなたの財布が満たされることはないからだね。もちろん下世話な話にはなるけれども、あなたがみているこの世界がすべてだと言い切ってもいいぐらいのところで、人は生命活動を続けざるを得ないからね。

見えない世界

なら、見えない世界はあなたにとってはないものだと断定してもいいのか、という問題に直面するわけだ。もちろんその謎が解けたとしても、あなたの日常はおそらく何一つ変わらないだろう。だから無駄だとか意味がないと断定するのはどうだろうか。あなたの知らない世界が解き明かされることで、あなたの視点が変わるという副作用がそこに生まれるだろう。そして一番大切な視点は、すべてがあなたが知る世界ではないという謙虚さだね。全知全能の神ではなく、あなたの見ている世界はほんの一部でしかないという、自然界に対する畏怖の念だろう。それさえあれば、あなたが誰かを断定したり、判定したり、選別することがいかに稚拙であるかという幅を持たせてくれるのだからね。そして全てを知っているつもりだったあなたが、実際には何もしらないままで生きてきたという感覚が、あなたをさらに高みに押し上げてくれる。いわば思考回路における認識をバージョンアップしてくれるわけだ。そういう意味では、常にあなたの常識や当たり前を疑ってかかる姿勢を保ち続けていられるかどうか、であなたの寛容さの尺度がそこに生み出されるわけだよ。