アンドゥ

日々

古い画家が、キャンバスに線をひくときのそれと、デジタル時代でタブレット上にひくそれとは全く異質な行為となっていると言う。それはやり直せるという回数だ。もちろん両方とも二度と変えられてない線はない。けれども物理的に絵の具が減っていくそれと、デジタル上のピクセルデータのそれとは質感が異なるようだ。すなわち、最初の一筆にどれだけの想いがそこにつまっているかという差違があるという。もはやデジタルネイティブな世代にはにわかに信じがたいけれども、そういう部分はなんとなく理解できるかもしれない。真っ白なキャンバスに描く線は、できればやり直しせずに思い通りにひきたいという強い想いというか姿勢がそこにあるかどうか、そこになにか魂が躍動しているかどうか。その違いがあるといこと。しかしながら結局は何度も筆を入れ、修正をし、繰り返して一つの作品を夜に生み出すという点では、今では当たり前となっている。しかもその完成度に関してさしたる違いがあるかは、当の本人でないとわからない。

質感

デジタルの世界ではすべてはデータであり、数値の羅列だ。アナログの世界では、絵の具やキャンバスの質感であり、匂いであり、油絵であれば少しばかりの立体感さえもそこに生まれる。そしてそれらは劣化し、保管状況によっては朽ち果てて退色してしまうわけだ。ディスプレイで描いたデータをプリンターで紙に出力したそれと、この世にそれしかない一枚の絵画との差は、ずばり質感だといえるね。もちろんそれに迫る技術はデジタルと言えどもある。でも、何枚も同じものを制作するとなると、その差は歴然となる。デジタルはコピーがとても簡単だ。もちろんアナログな絵画は高精細な写真として記録すれば、複製するこは可能だ。けれどもその質感は実物には程遠いね。アニメの世界でいう原画という物の価値は、まさに希少性がそれであり、一点ものでしかオリジナルは存在し得ないのはもうすでに知っているだろう。逆に言えば質感さえ捨ててしまえば、完全にコピーすることができるのが、デジタルの利点であり、さらにいえばオリジナルが劣化したとしても記録としては長期保管が可能だという点だ。

価値

今のところ、手触りはどれだけAIが発展しても、唯一無二の感覚だ。もちろんもっと進歩してその触覚や嗅覚さえもコントロールできるようにはなるだろう。しかしながらそれらはすでに誰かが知っているものであり、まだ見ぬ未知の感覚がそこに生まれるのかどうかは、ちょっと先のことになるかもしれない。やり直しが簡単にできる時代でも、相変わらずそうでもないことはたくさんあるね。その一番は人生そのものであり、それができるような時代が到来すると、今までの世界は一変してしまうに違いない。芸術的価値とか骨董的価値という、希少性はすべてなくなり、それらがあふれる世界であり、あなたのコピーもたくさん生まれ、あなただけのオリジナルという価値観がどんどん薄れていく。さらにそれらは単なる数値で表される記号であり、すべては一瞬にして書き換え可能なデータでしかないのだからね。そうなるとデータの価値という感覚も消えてなくなるのかもしれないね。もはやノイズとあなたは同一化してしまう、そんな時代がやがてくるのか、そうでないか、生命はそこにあるのか、それはまだ誰にもわからないね。