問いのありか
悪あがき
良かれと思って一所懸命になにかをやっている。そのときに起こっている様子は、一点集中となる場合が多いね。本当は複雑な要因が絡まっていることがほとんどであり、それらを解き明かすのはとても難しい。しかしながらそれらの要因をあなたなりに必死に解きほぐし、一瞬出た結果らしきものを真正面から受け止めて、それが思っていたものと違うということで改善しようともがいている。犯人探しはそうやって繰り返し行われて、なんとか狙った通りになった一部があるにせよ、それ以外の要因の問題は未解決なままだ。だから、一難去ってまた一難という状況がいつ終わるのかすら、見当もつかないわけだ。それがまさに人生だと開き直ってみても、何かが解決するようなこともなく、そのまま受け入れることになる。これまであなたはそれをただ繰り返してきただけで、実のところ何かを解決した経験というのは、あのとき雨がやんだのは、あなたの施策のおかげだと言い張っているようなものでしかないね。
移ろい
すべてがそのままでずっと変化なく続いているように見えて、ほとんどはそうではない。そもそもあなたもずっとあなただと思い込んでいるけれども、数十年前のあなたと今のあなたでは容姿すら変化している。あなたはそういう外見的な変化には気づくことがすぐにできるのは、あなたが毎日鏡を見ているからかもしれない。しかしあなたの心を映し出す鏡がないので、あなただけはずっとあの頃のままだと思い込んでいる。そのギャップがあなたを一層苦しめることになるわけで、いつまでも若くありたいと思っていろんな施策を繰り広げることになる。その行き着く先は、もう鏡すら見ないというところまでになるかもしれない。そうしてどんどん身体と心が分離していくわけだ。それと同じことがあなたの世界では繰り広げられていくわけだけれども、それをなんとか折り合いをつけるところまでのすり合わせをやっているだけに過ぎない。それがぴったりと合致したとき、あなたは無になる。すなわちプラス・マイナスゼロとなる。そのとき、それまでの心の騒動が落ち着き、すっと静かになることを知る。
手探り
そうやってどうにかこうにかやってきたわけだ。そしてそれもおそらくはいずれ消えゆく運命だとなんとなくわかりつつあるね。あなたという存在がいつまでも続くわけではないことは、あなたすらずっとあなただというわけではないと気がつきはじめている。現代社会において問題解決というのは、社会が発展する重要な要素であり、それがあったからこそ経済的資本が成長してきたとも言える。そして今では生物的に必要と思われる便利さが、やや飽和し始めている状況が多くなってきた。すなわちもはや解決すべき大きな問いは、なくなることはないにせよ、少なくなってきたとも言えるね。だからあとはとても細かい問題が依然としてあるのだけれども、それらに向き合うには効率が悪いし、かつ、そもそもの問題とされるものが本当にそうなのかどうなのかという根本的な問いばかりだ。多くの人が安全に生きるという視点から、そのうえで個人の幸せの追求へと変化したとき、そこで使えるモノサシは無限大に膨らんでしまうからだ。
