じっと待つ

日々

選択肢

人生において分岐点が生まれたとき、あなたはどちらを選ぶか悩むことが多いね。いずれにせよ、結局のところたどり着くところは同じであったとしても、それまでの過程をどう過ごすかということがその悩みの中心となる。身も蓋もない言い方をすれば、どちらを選択しようともいずれは終着点に向かうわけだけれども、そこで悩むのはそれまでどう過ごすかということがメインテーマとなっている。そこで逡巡して決められないのは、いずれ終わるということがすっかりと抜け落ちているからに過ぎないわけだ。だからどちらを選んでも正解ということに結局はならざるを得ないという構造がそこにある。だから悩んでいる時間は、結局のところ後で考えればすべては杞憂であり、時間の無駄だったという結末をすでに今帯びているとも言えるね。だから悩むのは無駄だとかというつもりはない。そこで悩むことがあなたにとっては必要な余興であり、人生の醍醐味だからだ。結末は同じだとしても、それまでどう過ごすかということが一大事なのは、生きることの本質そのものに触れているとも言えるわけで、どうせゴールに自動的に運ばれてしまうとしても、それまでの選択権は残っているわけだからね。

過程

社会的には結果が重要であって、そのプロセスは評価に値しないか、もしくは全く見ないという風潮にある。だから、あなたはできれば最短距離でそこにたどり着く方法を選ぼうとする傾向になりがちだね。目的地まで新幹線で向かうのか、はたまた飛行機で向かうのか、その時間とコストを天秤にかけてベストチョイスを選ぼうとする。それになんの疑問もないのは、合理的な決断だと信じているからだ。それを続けると人生そのものは大きく変化することなんて、微塵にも気が付かないままだろう。もちろんやるべきタスクがたくさんあって、同じ時間でたくさんの処理をすることを求められているわけだから必然的にそうせざるを得ない場合が多いからね。でも、あなたの余暇の時間でさえ、同じ処理を無意識に行ってしまうわけだ。目的が決まっているということが、あなたにとっては明確な思考基準であるから、逆に言えば目的のない旅行などは苦手に感じたり、無駄が多くて気持ち悪く感じたりするだろう。ほら、もはや目的地だけしか見えてない人生となって、そのプロセスを楽しむどころではなくなってしまっているね。

成果

そういうクセがつくとどうなるか。それは明確に今ここという時間が消滅してしまうという大惨事が起こっている。いやいやそんな大げさな、と思うかもしれないけれども、あなたの生命の時間を結果だけに使う選択を続けてしまうと、今ここを楽しむという要素がすっぽりと抜け落ちてしまう。あなたの楽しみはいつも先にあって、あなたの喜びや成果も今は空っぽだという人生を生き続けていくわけだ。だからたまには息を抜いて、何もしないという余白が必要だとされている。それは、ずっとどこか遠くの目的地ばかりに焦点を合わせ続けて、今を楽しむことや、ゆっくりと何もしないということができなくなって、楽しむことを忘れた人生となってしまうからだ。楽しむのは未来でなく、今しかできないことであり、その楽しみを奪うがために今は我慢するということを美化してすっかりと洗脳されてしまっていることに気が付かないままとなる。だから人生の終着駅につく寸前までそれにきがつかないまま、誰かに、何かにいつも扇動された、あなたがそこにいなかった過去しか残らないわけだ。今しかできないことってなんだろうか。それを少しばかり考えてみることをおすすめするよ。