言葉のキャッチボール

日々

言う

言葉にして言うと、今という時間と現実から切り離されてしまうね。見えていることを、わざわざ言葉にするという行為は、今見ていることをそうではないことに変換することだ。空が青いね、なんていうと、それが伝わっていない人に対する伝令となる。けれどもそんなことをは言わなくてもその場にいるのであれば、同じ映像を共有している。だから、わざわざ空が青いなんていう切り離しをしなくても大丈夫なはずだ。それでも言いたくなるのは、それがあなたにとって特別なものだと感じられたからだ。すなわち、もうそこにあるものであっても、わざわざ切り離して表現するという意図は、それがあなたにとって伝えなければならないことだと思ったからだね。言われた方も、うん、知っているよ、ということになるけれども、それでも空が青いと言うことによって、そこにはあなたの思いが込められているわけだ。

共感

まれに同じ空間を共有していたとしても、ずいぶんと見方が違うことに驚くこともしばしばあるね。今日は暑いね、ということはほぼ間違いなく伝わるケースが多いけれども、それでも、昨日よりはましだね、とか、今日は湿度が高いだけで気温はいくぶん秋めいてきたよ、とかそういう会話になる。ベースとしてはまだまだ暑いという点ではそれほど外れなくても、その見解はずいぶんと異なっていたりするわけだ。だからこそ、なんでも無いことをわざわざ言葉化して現実からあなたが思う範囲において切り出すわけだ。そういう意味では、会話というのは偶発性を楽しむものであり、あなたもそれが絶対だとも思ってはいないし、どう切り出してもいい部分をあえてあなたが決めた範囲で言葉にするわけだ。それを何気ない会話として楽しんでいる。そう、特に何も言葉化しなくてもいいという前提なのに、あえてそうしているのはあなたが今それを楽しもうとしているだけのことだね。

言葉化

全体はとてつもなく壮大であり、それを切り取るにしてもどこからどこまでを切り取るのか思案しているわけだ。それで適当にその範囲を決めて、言葉化しやすい事象だけ何気ない気持ちで発言している。それにはそれほどの意味があるようで、特に意味もなく、なぜそれをそうしたのか、ということも曖昧だね。感じるままに今という空間を眺めているだけでは物足りず、その一部を切り取って会話のキャッチボールに仕立て上げている。そんな時間がとても愛おしいのは、そこには他意がないからだね。壮大な景色を眼の前にして、暑いのか、空が青いのか、雲が白いのか、山の緑が鮮やかなのか、すべてはあなたが言葉化する対象にあるものの、どこをどう切り取るのかというゲームを楽しんでいるに過ぎない。ああ、あなたはそこを切り取ったのか、なんて思いつつそれ以外の部分を切り取って見せたりするのが会話だ。なのに、あなたが思い描いた通りの返答がなければ、がっかりするのはちょっと独りよがり過ぎると言えるかもしれないね。