あなたの居場所
何もしない
何もしないという時間は現代社会においてはとても特別で貴重な時間となって久しい。なぜなら、目的があまねくすべての人に与えられており、それが仕事であれ、学業であれ、家事や育児であっても、こうなるべきという姿が生まれた瞬間から与え続けられているからだね。だから、それに近づくために日々努力や研鑽することが求められており、その姿が美徳であると徹底的に教え込まれているわけだ。そしてその緊張を少し緩めると、他人からはサボりと揶揄され、頑張りが少ないとか、そもそも努力や我慢が不足していると指摘されるような状態となっている。すでにSNSやネット上で、そうしたあなたの規範の範疇から逸脱した人に向けられる呪詛の言葉がそれを一層増幅してしまっているし、あなたが本当はもっと楽したいと思っているにも関わらずそれができないままの鬱憤をそこにすべて吐き出しているという様相を呈しているわけだ。
選択
それでも、外野からのノイズを遮断できるのならば、あなたはもう少し歩幅を狭べたり、ゆっくりと進むことを選択することはできる。もちろん、それ相応の覚悟が必要なのは、そういう世論だからある程度の誹謗中傷は避けられないかもしれない。けれども、それをあえて選択できるという余地はあなたには残されているね。だから、これまでがむしゃらに頑張ってきたならば、少しばかりの休息をとることは、あなたが決めるだけでいいわけだ。そこで何をサボっている、なんて言う言葉が浴びせかけられようとも、あなたがそうしたいと思うのならば何も怯むことはないね。ちょっと休ませてといえば、全員ではないにせよ、陰ながらあなたを支えてくれて、普段の様子を見守ってくれる人がいるのならば、理解してくれるに違いない。もっと先、もっと先とずっと追い立てられてきたし、今ものんびりしたいなんて許されない状況であっても、あなたがそうしたいのならばそうすればいいだけのことなんだよ。
目的
あなたがいつも追い立てられているもの。それは結果だの、成果だの、地位だの、数値だの、あらゆる喫緊の課題の解消にある。けれども身も蓋もないことを言えば、それには終わりがあるわけではない。10が20になったからこれでもう安心という問題はほとんどなくて、次は20を30に、いやいやできれ50を狙えるのではないか、なんてエンドレスなわけだ。そしてそれをずっと追い求めてきた結果が今となる。しかしながらそれはあなたにとってのなにかという部分は、ゼロではないにせよあまり影響力としては少ない。簡単に言えば一所懸命にそれを達成した対価としては必ず少なくなるようにできている。そうしないと社会が発展しないと言われているし、なんとなくあなたもそういうものだと納得はできないにせよ、認識はしているだろう。しかしながらそれもなにか確信めいた根拠をあなたが掴んでいるわけはないね。そう、やってもやっても我が暮らしは楽にならざるなりという感覚がそこにはある。そしてそれを紛らわすとき、あなたは他人と比較したり揶揄したり嘲笑したりして、なんとかあなたを保っているだけのことだろう。はてさて、あなたは一体そのときはどこにいるのだろうか。
