誰がそう思ったのか
拠り所
あなたらしさというか、無意識的に掴んで離さないことがある。それを見つけてはどんどん断捨離していくと、新しい自分に出会えるとは知りつつも、それが一体なんだろうかという点で実は落とし穴がある。実際にはあなたが思っているこだわりであるそれとは違うからだ。いやいや自分のことは自分が一番よくわかっているはずだから、そんな間違いはしないよ、なんて言いたくなる気持ちはわかる。けれども、その自分像はほとんどの場合はズレている。もっと言えば、あなたが思うあなたらしさなんていうのは、どこを探してもない。そんなことを言われて絶望するかもしれない。けれども、その絶望も実際には起こり得ないぐらいに、あなたが思うあなたらしく判断しているそれもまた同じように差違があるわけだ。だから真の絶望ではなく、身も蓋もない言い方になってしまうが、勘違いでしかないね。
ギャップ
あなたが認識している現実や世界は、あなたの勘違いでできている。そんなことを言われてしまえば、一気にあなたの存在が危うくなってしまう。それこそ、いろんなこだわりや、あなたがやりたいと思っていることや、そうしてやってきたことなどの根拠がなくなってしまう。そしてその中でも、あなたらしさというプライドや誇りを発揮すべく、あなたなりの努力や苦労を背負ってやってきた。それらはあなたが思うあなたの自尊心を維持するために必要な行動だったわけだけれども、それらはすべて見当違いだっただなんてにわかには信じがたいし、信じたくもないだろう。そこにはあなたが思う自己像と、世界から見えるあなたとの深遠なるギャップが横たわっているとして、ならそれをどう解消すればいいのだろう。あなたの世界が歪んでいるならば、それは果たして補正することができるのだろうか。
真実
そもそもあなたらしさという言葉自体をどの視点で見つめているかを再検討してみるといいかもしれない。それは確固たるなにかではなく、どう生きたいかというなんとなくの方向でしかないだろう。人に優しく、自分に厳しくありたいとか、人から奪うよりも与える側になりたいとか、貧しいながらも高潔でいたいとか、嘘は無い方がいいとか、そんなどこかで聞いた誰かの言葉の総体でしかないだろう。そしてそれも日々移ろうものであり、金科玉条にして揺るがないものとも断言できないままでいるね。もっといえばそれらもケースバイケースであり、そこにはあなたが思ういい人を演じるための打算的戦略に過ぎなかったりもするだろう。そう、あなたが思うあなたらしさなんて探し回ってみたところで、それまでのことが鮮明に思い出されるほど目を背けたくなることが見つかってしまうね。だからこそ、その場の感情には騙されずに、基本あなたはズレているとまずは疑うことが大切だと言えるね。
