総合性能

日々

適材適所

組織という機能を構築するとき、それぞれの資質や特性を適正を見極めて持ちうる能力が発揮できるポジションに配置することが重要となる。宅配便の配達にまさかスポーツカーを使うことはないし、紙を切るのに切れ味が鋭いからといって大剣を使うこともないね。それぞれスピードが速かったり、切れ味が鋭かったりするけれども、その場所ではその効果を発揮することは難しいわけだ。狭い住宅地の路地をすいすいと駆け抜けるためには、大きな車体と巨大なパワーは必要ないし、小さな紙を切り取るにあたって大剣は邪魔である。そう、機能や性能がいつも万能であるわけでなく、したがってすべてが秀でているからといって、盲目的に良いことだとは言えないわけだ。それを適材適所というわけだけれども、不思議なことにそれを知っているにも関わらず、性能面やスキルで良い悪いを判断しがちなのはどうしてそうなるのだろうね。

優秀さ

切れ味が悪い刃物よりも、切れ味するどい方がいいに決まっていると思い込んでいる。パワーがなくてよろよろ走る軽トラックよりも、高級スポーツカーの方が技術的に優れていると思い込んでいる。その原因は、何が何でも高性能な方が良いに決まっているというステレオタイプな判断基準がそこにある。総合性能という言葉があるように、速いけれども燃費効率は悪いとか、大きいけれども荷物は詰めないとか、切れ味が鋭いけれども取り回しが悪いとか、長所や特性にはマイナス側の部分が必ずあるわけだ。それなのに今の時代、例えば勉強ができるから優秀だとか、仕事が素早くできるから有能だとか、そんな単純化されたもので実際に評価されている。でもそれは逆に言えば、特性がその場に適合しているかどうかという視点が欠落しているね。なんでも誰かより上だからいいというものではないことぐらいは、すでに知っているはずなんだけれどもね。

万能

ではそんな時代に高評価を得るためにはどうするかを戦略的に考えてみる。それは相反するすべての性能やスキルが及第点であることに行き着いてしまうわけだ。速いけれども小回りがきいて荷物もたくさん運ぶことができ、燃費効率も抜群な車があればいいとか、切れ味がするどくて、小さな紙を正確に裁断できる大剣があればいいわけだ。人に当てはめれば、一般的な学習能力も優れており、人の心を動かすことができる表現力も持ち合わせており、単純作業の結果を素早く出せる処理能力も高い。さらには心遣いやコミュニケーション能力も抜群で、どんな場所においても、最大の結果を出せる人物になればいいね。そんな十徳ナイフのような性能を獲得しようとすればするほど、帯に短し襷に長し、という残念な結果になってしまっているのが多くの人の悩みなんじゃないかな。所詮なんでもかんでもできるというのは、なにもかもが及第点であるけれどもそれ以上でもないという残念な結果となってしまうだけだから、あんまりおすすめはできないと思うけれども、どうだろうね。