あなたの世界

日々

あなたは誰?

私は一体何者なんだろう。ふと、そう疑問に思って、それを確かめる何かを探し始める。自分の名前を呼んだり、過去の思い出を振り返ってみても、どうもしっくりこない時があるね。もう投げやりになって「自己中」の塊になったり、いっそのこと消えてなくなりたいと思ったり、どっちにしても一瞬自分の存在が薄まる瞬間がある。そうして自分を手放すことに成功した時に、なぜかすっと心が軽くなるね。ミエもプライドもかなぐり捨てて恥も外聞もなく、もうどうとでもなれ、と心から思った瞬間だけその時が訪れる。そう、いつもは大事な何かを力一杯握りしめているから、辛く悲しい日々から脱出できない。武道でも茶道でも道の教えは「脱力」が本質なのもそういうことだよね。そもそもそうやってしがみついたり、握りしめている何かは、あると思いこんでいるだけで、そこにはないものだよ。手の力を抜いて見てみるとわかるけど、掴んで絶対離さないと握りしめていたその手の中には、ほら、何もないでしょ?何をそんなに力一杯握りしめていたんだろうね。

自分参上

自分をここに出現させるために、色々足りないものを次々と生み出して、その対比で影を浮かべている。その影を自分だと見ているだけで、その色さえ実はわからない。だから自分と違うものをそこに並べることで、いつもの日常は精一杯だよね。とにかくそうしてないとここにいるという感覚さえ曖昧になってくるからね。それがひどくなって、ついに自分がわからなくなると、自分探しや自分磨きとかしだしたりもするね。目の前には多くの人の群れがバラバラに暮らしている。その一人一人にそれぞれの暮らしがあって、みんなそれぞれ悩みを抱えながら生きている。ほら、私は一人じゃない。そう思うことでようやく自分が際立ってくるね。でもそれは全部自分が描き出した作り物だとしたら、あなたはどうする?そんなバカなって思うと同時に、どうする?

ここにいる

何だかんだそう言っても、ほら、わたしはここにいる。うん、そうだね。それは間違いないんだけど、それを確認する術がどこにもない。だから、自分以外の全てを生み出しているんだよ。ほら、こんなに色んな人や物があるよってね。まるで子供の頃、砂場で色んなものに例えて遊んでいるかのようにね。そう、実はそこにはあなたしかいないんだよ。そう気づけば、何も恐れることはないよね。全部自分が生み出した愛おしい作品なんだからね。さて、次はどんなシュチュエーションを創り出すのかな?世界はその手で変えられるというのは、まさにそういうことなんだよね。初めから何も握りしめてないし、何も困ることもない。だからその困った事が起きることを、そのままにしておけば良いだけ。本当にそれだけだよ。だってその困った事さえ、あなたがあなたでいるための作品なんだからね。