人生のボス

日々

見ている

あなたは、現実を見ている観客の一人だね。だから、あなたが悲惨だと思えばそういうことになり、幸せだと思えばそれはそうなる。とてもシンプルで、疑いようのない事実でもあるわけだ。そういうことを言うと、だったら不幸な人は、そのままでいいのか、なんていう的外れな批判を受けたりするだろう。それもこれもあなたが悲惨だと断定しているわけであり、同じシーンを見て殆どの人が同じ思いを抱くと主張したとしても、それはあなたの見解でそうだと言うしかないわけだ。もちろんそうだから何もしなくていいということとは別で、そう思うからこそあなたができるなにかを見つけようともがくわけだから、それでいいし何ら問題はない。悲しみや困難から目をそらして放置すればいいという意味はそこには全くないわけだ。これや一大事だと決めるのはあなただし、それに対してなんとか助けようと画策するのもあなたなのだからね。

あなたの世界

しかしながら、そう思わない人も確実にいる。あなたにとっては関わりたくない人だと認識するだろう。それもあなたがそう見ているからそれでいいわけだ。そんな人は気にしないで、あなたはあなたが見た世界に対してのリアクションをすればいいだけのことで、誰かがどうだとかというノイズは全く持って必要ないわけだ。もしそれが必要なシーンを想像してみればわかるように、それはあなたがこうしなきゃ、ということができない、もしくはやりたくない言い訳に使われるだけのことだからね。あなたがそう思ったならば、それをあなた自身でその後の行動を引き受けなければならないだけであって、その言い訳として屁理屈を捏ねてやらない理由にしている場合ではないね。その後ろめたさによって批判しているだけだと言うことは、実のところあなたが一番知っているはずなんだから。

主体

あなたがこの世の主人公であることは間違いない事実だ。でもその重責に押しつぶされそうになるのを上手にかわそうとして誰かのせいにしたりする。そしてそれでなんとかごまかせたとしても、それをしたことはあなたの中からはいつまでも消えない。だったら、なんて言われようがあなたがやりたいようにやったらいいだけのことだね。そこに遠慮はいらないし、さらに言えば誰に対するそれなのかを考えてみればすぐにわかるだろう。一部の心無い批判なんていうのは、外野のノイズであってそれを言っている人たちがあなたの世界に影響することは皆無だ。だったら批判されて落ち込んでしまったり、人生に行き詰まったりする人がいるのはどうしてかと問われれば、やはり、それをそういう風に受け止めたあなたがそうしていると言うしかないね。そう、すべてはあなたが握っていると言うしかないのはそういう理由なんだよ。