やらない言い訳
二択
人生の選択肢において、殆どの人が二択であると思い込んでいる。ここから先に進むのか、立ち止まるのか、それをやるのか、やらないのか、そんな感じだね。そしてその両極端な選択肢しかないから、大いに悩むわけだ。ところがつぶさにそれを観察してみると、実のところその中間が見えてくるはずだ。先に進むスピードを少し遅くしてみるとか、やらないまでも少しだけ試してみるという具合にね。そうすると、選択肢が二つだけではなく、実際には無限にあることが見えてくる。そう、悩むときというのは、視野が狭くなっていることが多いわけだ。あるいはその数直線上にすべてがあるような錯覚から脱して、それ以外にも多数のそれがあり、それぞれが仮に両極端な二つだけの選択肢しか見えないとしても、数直線が無数にあるとすれば同じようにまた無数の選択肢がそこに現れるわけだ。話をシンプルにするために、脳が勝手に二択にしてしまうクセを見抜けば、少しはその苦しみから解放されるかもしれないね。
無限大
一方で、複数の選択肢が見えたところで、新たな悩みどころとしては多すぎて選べないという問題が発生する。それを避けるための二択だったということもできるね。しかしながらそこもあなたのクセを見抜けば良いのは、多すぎる選択肢なら選ばなくてもいいということだ。そもそも選ばなければならないという前提は、あなたがそうしたいがために生み出したクイズみたいなもので、絶対に必須なわけではない。今は放って置くという第三の選択肢がいつもそばにあるからだ。そんなことしていては、周りに追い抜かれてしまうという強迫観念がそこにあったとしても、なら、そうなってしまえばいいということだ。それが究極のあなたのピンチだと見えるだろうけれども、そこで不本意な選択を強いられる苦しみを感じるのならば、何もしないで違うことを楽しんでいればいいね。その先がどうなるのかなんていうのは、実のところ誰にもわからないことなんだからね。それを確定的に感じているのは、他の誰でもないあなたの幻想なんだから。
思い立ったが吉日
一方で、なんとなくやってみたいな、ということがあればやらない選択肢は捨ててしまった方がいいね。なんだか焦って選択しなくてもいいと言っていたのに矛盾しているような感じがするかもしれない。ここでの大きなポイントは、あなたの心がそれを欲しているかどうかだ。それこそ究極の二択であって、やりたいか、やりたくないかの二択を大切にすればいいということだね。そしてやりたいと少しでも思ったならば、やればいい。そのことには勘案したり苦悩したりすることすら不要だということだ。もちろんほとんどの場合そうしたところでうまくはいかないだろう。それは結果であって、それ自体は取るに足りないことだ。いやいや、失敗はダメだろうというモノサシがあなたを迷わせるだろう。けれどもそれ自体あなた本来の基準ではないことを看破できるかどうかにかかっている。失敗がダメなのは骨折り損だとか、惨めだとか、恥ずかしいとかが基準となっている。それらはあなた以外の誰かの顔色を伺ったときに初めて成立するものばかりだ。あなたにとっては楽しい時間であり貴重な経験であるそれを、そんなことで失っているとすればそれこそ機会損失も甚だしいわけだからね。
