ふさわしさという罠
できる
これはできる、ということと、これは無理だな、ということの線引はあなたの経験と感覚によって生まれている。しかしながら今はAIの時代に突入して、これまで諦めていたことが案外できるようになっている。信じられないことだからこそ、それに対して慎重になる気持ちはよく分かる。けれども実際そうなっているね。だから、個人で、ましてやなんの知識も経験もないようなことであっても、一度やってみようという気持ちがこれからは大切になっていくわけだ。とにかく、こうなればいいのに、ということに関してはどんどんチャレンジしてみることがあなたの人生の感覚を大きく塗り替えることになる。もちろん、だからといって永遠の生命を得ることはまだできないだろうし、突然大金持ちになったりすることも稀ではある。それさえもどうにかなるかもしれないという予感が、現代社会を揺るがしているのは事実だね。
無理
そんな豊かさと便利さを享受する時代において、それでもなお無理だとすぐに決めつけることが増えた。できるできないの感覚がアップデートされないまま、すぐにその選択肢を選んでしまう傾向にあるのが不思議なところだね。特に教育という部分においては、多様性と選択によって、できないのなら違うことをすればいいし、合わないのならば違う場所へ移ればいいと思っている。何も苦労してまで、そこで努力することもなく、多種多様な選択肢があるのだから、どんどん移動すればいいという考え方が支配しているみたいだ。自分にあった場所へとどんどん移動するという口実が正当化されて、そのまま自らの成長の機会を失っているともいえる。せっかくのチャンスに向かい合うことがタイパやコスパが悪いと即断していると、おそらくは言い訳だけに長けていき、すべては環境に依存するようになるだろう。
何がしたいのか
だから、これから最も大切なことは、何がしたいのかをきちんと見極める能力だろう。とにかくやってみたいと思って手当たり次第にやってみていること自体は、それでいいだろう。しかし、少しの困難でさえ乗り越えることを放棄して、思っていたのと違うからと次の場所へコロコロと変わっていると、自らの真摯に向き合うということを言い訳に変えて、少しの成長もしなくなっていくわけだ。そうなると結果的には、自らの成長と寛容さが生まれないまま、なんとなくのあなたという幻想を根拠にして、一処にいられなくなる。それでもあなたの興味が尽きないのならばそれで全く構わないだろう。けれども、その関心が飽和したとき、あなたは何もできない自分自身と改めてその瞬間に向き合わざるを得なくなる。その時期がいつなのかはそれぞれだろうけれども、どこかでしっかりと乗り越えるための力を蓄えておかないと、苦難も倍増してしまうかもしれないね。
