律すれば察する

日々

ご機嫌

自分の機嫌ぐらい自分で調整しよう。それを他者や環境のせいにすると、あなたはとたんにアンコントローラブルに陥ってしまう。自分を律するなんていう堅苦しい言葉があるけれども、それぐらいストイックにならなくても、ちょっとした視点の変更であなたはご機嫌になれるとするならば、それをしない理由はない。もちろん腹立たしいことや、許せないことにたくさん直面するのは避けられない。けれども、それに振り回されてしまっては結局のところ、あなたは制御不能である状態となんら変わらないのだからね。そんな予兆を察知して、そうならないように先手を打つことを覚えてしまうと、意外にも周りのそういったノイズに影響されないようにできる。実のところこれは意外にも難しくなく、やってみれば拍子抜けするぐらい簡単なことだ。それを小難しくあれこれと考えている時点で、外部ノイズに影響されすぎているという状態だと知らないだけのことでしかない。

調整

支配とかコントールというと大げさに聞こえてしまうのならば、調整というとぴったりかもしれない。何も大幅に視点を変えなければならないとか、生活様式全般を見直せと言っているわけではない。ほんの少しだけ微調整をするだけで、がらりと気分が変わるとすれば、そんなコスパがいい方法は他に見当たらないだろう。そしてそれはいつでもすぐにできることなんだけれども、なぜかそれがとても難しく、この世の中を悟らないとできないようなことを言って騙されているわけだ。西欧での、神様が助けてくれるのが一神教である一方で、そんなものは存在せず、あらゆるところに神が存在するとするのが東洋の宗教というか哲学だね。その大きな視座を変えるまでもなく、あなたを救うのが誰であろうとも、それに対するあなたの姿勢というか向き合う方向を微調整するだけのことで、大きく世界は変わるわけだ。

居場所

あなたがいつもいると思っているこの場所は、実際にはどこにもない。いやいや今自宅にいるよ、と思うかもしれない。それはそのとおりであるけれども、そのとおりでもないということだ。すなわち、あなたがそこが自宅だと思えばそうだし、それはどんな場所へ仮に引っ越ししたとしても、同じように感じている。なにかしらの事情で友人宅で過ごしているかもしれない。あくまでもそこは友人宅だろう。けれどもしばらくするとその感覚が徐々に自分の居場所へと変化していくことを知っているね。同じように会社の寮であってり下宿先であったり、間借りした古民家であっても、必ず同じ感覚になるはずだ。そうやって環境に順応することで、あなたはどこでも生きていくことができるスキルを備えている。ということは、あなたが今当たり前だと思っているその環境は、いつでも変えられるし、そもそもずっとそこにあったわけではない。それに振り回されているとすれば、もはや笑うしかないだろう。