自己主張

日々

自分らしく

自然に無理なく過ごすことが、自分らしく過ごせている一つの目安になるね。自分らしく過ごせていると、おそらく周りの景色に同化しているだろうから、それほど抜きん出なく、目立たなく、そっとそこにいるだろうね。ところが、エゴが先に立つと、周りから浮いた存在のように、なんだか景色と一体化するんじゃなくて、自らの存在を際立たせるように見えるだろうね。例えれば海に浮かぶ巨大な浮き輪のように、そこにあるのがとても違和感を感じるようすかな。うまく言えないけれど、そんな風に自然の風景の中で、まぁそれぞれの存在は知っているけれど、その組み合わせとしてはどこか違和感を感じる景色、そんな感じかな。

似合ってる

例えばファッションなんかでは、いろいろ色の組み合わせや、何をどう生かすように服を選ぶかということが大事だね。自分はそれが好きっていうだけで身に纏って、自分ではそれが個性だと思っている。だけど、それを俯瞰して、まわりのようすと自分がいる世界を眺めてみると、果たして景色と同化しているのか、それとも際立っているのかという視点が欠けたりする。それは目立った違和感に繋がるね。強力にアピールするにはいいんだけど、ふさわしい存在感かどうかで見ると、やはり違和感が大きくなってしまう。

自然かどうか

そう、自然の中の動物や植物が織りなす風景は、どちらかと言えば天敵から身を守るためなのか、景色と同化する衣装を身に纏う生き物が多いね。カモフラージュするというか、そういう目立たない感じが自然だとされている。そういう森林に一度足を踏み入れるとよくわかるけれど、そこに色とりどりのキャンプのテントなんかはすごい違和感を放っているね。人工物というか、これは自然のものではないですという主張がとてもよくわかる。まぁ、遭難したりしても目立つようにあえてそうなっているんだろうけれどね。人はその景色に慣れているので、見慣れた風景と思っているけれど、自然界の生き物からすればどんな違和感がそこにあるのだろうね。もちろん違和感や目立つ事そのものに良いも悪いもないんだけれど、周りと同化して生きているかどうかってことが、自分らしいかどうかのヒントになるだろうね。コンクリートの街にはその街にあったものになるんだろうし、山里の風景にはそこにあったものになるんだろうし、そういう置かれた環境で、特に大きな違和感もなく自然の流れに抵抗していないってことが基準になるね。そこからどうするかはお好きなようにって感じ。それを楽しめているならなんでもOKってことだよ。そこにある見えない大きな流れはたぶんどこにいても同じだろうからね。