一心同体
好き
好きを極めると、すべてに届く。どういうことかわからないから、補足すると、好きだからすべてに心が行き届くわけであり、好きだからいい加減にできない。ということは、いつも以上に心を込めるわけだし、いつも以上に丁寧になるわけだ。すなわち好きなことには、あなたの視点や行動を変えるエネルギーがあるということだね。だから嫌いなことをいやいややるぐらいだったら、好きなことを一つ楽しんでやるほうが良いに決まっているわけだ。好きなことはそれをやっていること自体が素敵なことだし、その間はどんな作業であっても楽しくワクワクしている。それが結局のところアウトプットにもつながって素晴らしいものとなるから、あなたもそれをますます好きになるという好循環となる。それが好きなことであり、そしてその完成物は、丁寧であり、楽しくもあり、そして魅力的なものとなる。それはあなたの心の集大成であるということを示しているわけだ。
嫌い
一方で嫌いも極めることができる。嫌いを極めたらどうなるのか。それはとことん嫌いで雑なもので取るの足りないものだとするのは、まだ気が早いね。実のところ嫌いなものも好きなことと同じぐらいの完成度というか、出来は悪くないわけだ。これにはあなたもびっくりするかもしれない。でも実際に嫌いなことをいやいややったこと、という事実に関しては忘れたくても忘れられないぐらいのインパクトが続くわけだ。それは会心の一撃である好きなことの傑作と負けず劣らずのインパクトがそこにあり、そんなことを記憶や記録にしておきたくないという強い思いよりも、さらに上回ってしまうわけだ。なぜそういうことが起こるのか、不思議に思うだろう。でも、嫌いということは、嫌いなんだと常に唱え続けなければすぐに忘れてしまうような、あなたの弱い思念でしかないからだ。嫌いを維持するためには、その裏側のかなりのエネルギーが必要だということを忘れてはならない。
なんでもない
さて、好きも嫌いも相当なエネルギーを放ち、それ自体は忘れられない記憶となってあなたの世界に強く影響を及ぼすわけだ。では、なんの影響も及ぼさないことは一体なんだと探してみればすぐに見つかることがある。それは、何も感じないことだね。特に好きでもないし嫌いでもない、なんでもないことを毎日やっている。掃除をしたり洗濯をしたり、身支度をしたり、調理をしたりと、人によっては素敵か、もしくは地獄の時間となるそれらは、あなたにとってはなんでもないことであるわけだ。そしてそれらを特別扱いするわけでもなく、かといって忌み嫌うべき行為でもない。多少の手間はそんなものだと飲み込めるし、面倒なことでもそう思うことすら少ない。そしてあなたの人生の時間のほとんどをそれらが占めているわけだ。なんでもないことは、あなたと同化して一体化しているとも言える。さて、好きなことや嫌いなことはどうだろうね。
