追体験

日々

制約

あなたを一見不自由にしている制約がある。それがあるから、あなたは自由に振る舞えないなんて思っている。しかしながら、それは本来の意味ではそうではなく、あなたに新たな気づきを与えるための課題であり、問いでもある。それがないと、あなたはずっと自由に振る舞うことができるとなんとなく思っていただろう。実はそれ自体が当たり前ではなく、稀有なことなんだということすら忘れてしまうからね。今すぐにできることは、誰かにとっては羨ましく感じること。そんなに簡単ではなく、むしろ誰かにとっては、とっても困難なことですらあるわけだ。あなたから見える風景と、誰かから見えるそれとは全く様相が異なっていることを知っている。けれども、それがどんな風に実際には感じられているかまでは、当の本人でないとわからない景色だね。そして、それがどれだけ望むそれと乖離があるかということも、あなたは知る由はないわけだ。

わかったつもり

そう、あなたは優秀だからあらゆる物事に対しての知見がある。それ故に誰か他の人から見える景色に対する同情もできるわけだ。きっとそれはこういう気持ちで見ているということはある程度わかるかもしれない。けれども、人の感情は一通りではないため、すべての人に当てはまる法則なんていうものはないことも知っている。だから、その見ている世界や風景がわかったとしても、その時々において、まさにこれだということを推し量るまではいかないわけだ。だいたいの心の動きがこうであろうと、推論があたったとしても、その後にどうなるかは全くもって予見不能だ。それぐらいに気持ちの変化は多種多様であり、あなたですら自分の感情をコントロールすることに手を焼いているだろう。人の気持ちは秋の空のようにコロコロと変化し、全く持ってとらえどころのないものであるわけだからね。

追体験

でも実はそこには二重の扉があって、一見わかりそうにもない他人の気持ちが、手に取るようにわかる可能性もゼロではないということだ。ほとんどの場合はうまくいかないわけだけれども、稀にそうなることができるのが面白いね。それはあなた以外の他人であっても、それができるのは、基本的にはあなたが知っているそれと同調しているという状態だからだ。すなわちあなたもそれをかつて体験しており、その思いの変化をつぶさに観察して、感じてきたという確かな経験と記憶がそこにあるわけだ。それが一瞬だけちょうどそのとおりになるときがある。あなたの過去と見事にシンクロしたとき、あなたはもはや他人のそれというよりも、あなた自身の追体験と化すわけだ。その一方で、あなた自身のそれではないという客観的な視点から、あなたの経験がより精緻に書き換えられる瞬間でもあるね。他人を通した疑似体験とも言えるわけだけれども、果たしてそれは誰か他の人のことなんだろうかね。