価値創造
なにかある
そこに何があるか、を考えた時、あなたは見たそのままを言うだろう。机があるとか椅子があるとか、部屋があるし、風呂もあるね。それらがあなたの世界の全てだとすれば、見えるものだけとなるわけだ。でもそれを断言するにはちょっとした違和感があって、そうではないと反論もしたくなるのも事実だ。確かに現実社会においてはあなたが見ることができるもので全て出来ている。けれども、それ以外に見えないなにかもずっと感じ続けているからね。しかしながらそれはそこに確実にあるのか、と問われると途端に自信を失ってしまうものばかりだ。不合理に思っている関係性であったり、一見何不自由もない生活だと思われているけれども、実際の体感としては不自由だらけだったりもする。お金持ちの豪邸訪問を見て、羨ましく感じると同時に、掃除は大変だろうとか、光熱費は半端ないだろうとか、そんなことをぼんやり感じていたりもするわけだ。
なにもない
本来あるはずだと思っているそれらは、実際のところ何もないかもしれないと思い始めるときもあるだろう。それらは確かにそこにあると認識しているけれども、実際のところそれがあるからといって、なにか特別なことが起きそうで起きていないことばかりだろう。単なる椅子が高級なソファーになったところで、座り心地が確かにいいかもしれない。けれども座るという行為自体に特に変化はない。狭い部屋がとても広々としたリビングになったからといって、それがあなたの何に影響しているのか、よくわからなかったりする。手を伸ばせば必要なものに触れることができる狭苦しい空間の利便性と、わざわざ立ち上がって歩いていかないとそれができない広々とした豪邸との差違は、あなたがどこにその価値を見出すかということにかかっている。究極的にはあってもなくてもいいことばかりじゃないのか、なんていう思いが湧き上がってきたりもするね。
所有という概念
あなたのものとそうではないものを分けて、いつも何かを手にすることを求めている。けれども、あなたのものになったとしても、あなたがそれをどう使うかによって価値が大きく変わるものばかりだ。ということは、何も所有しなくても、それが在るとすればどう楽しむかということの方が大切だということでもある。高価なコレクションがどんどん増えたところで、それを倉庫にしまっているだけなら、それはないに等しい。稀有な絵画は、それを眺めるためにそこにあるわけだし、高級車はそれに乗るためにある。食べてなくなるような高級食材は、それをうまく調理して美味しくいただくためにあるわけだし、ハイブランドな洋服はそれを身につけるにふさわしい場所へ出かけるためにある。もしそれらがなければ、持っていたところでなんの意味もなく、倉庫の肥やしになるだけのことだ。価値とはあなたがそれを与えるということであり、持っているだけでは発揮できないわけだよ。
