ルサンチマンの正体
人生ゲーム
もっといい暮らしをしたいとか、いい身分になりたいとか、有名になってチヤホヤされたいとか、そんなことを多くの人は夢と思っている。やりたいこと、したいこと、実現できれば幸せになれると想像していること、それらを手にすることが人生ゲームのゴールだと決めつけている。でも残念ながらそれはゴールではないね。そうやって楽しむことや喜ぶことをずっと先送りにして、その代償として、今を差し出しているとすれば、その幻想に対しての家来みたいな存在でしかないからだ。もっと強い言葉で言えば、幸せというご褒美に対する奴隷みたいなものだね。まぁ、そこまでは言い過ぎかもしれない。けれども、なぜか楽しむのは後にしなければならないという、なぜか教訓めいた価値観ですべてを判断してしまっていることに気づくだろうか。そしてそれをたまにすっ飛ばしていい思いをしている誰かを見ると、無性に腹が立って、誹謗中傷するぐらいの恨みつらみが湧き上がってくるのは、あなたが我慢の先に幸せがあるべきだという固定観念に縛られているからそうなるわけだ。
今すぐ
よく考えてみれば今すぐ幸せになっても、特に問題はないはずだ。下積み時代があって、苦労に苦労を重ねて、辛酸を嘗め続けている時期がなかったとしても、誰にも迷惑などかけているわけでもない。さらに言えば、周りから見てそんなに自慢できるような状況でなかったとしても、当の本人がそれが楽しいといえばそれでいいわけだ。それをなんだかんだとあなたが揶揄している暇があるのならば、あなたもそうすればいいだけのことだね。ところが、苦労が大きいほど喜びも比例して大きくなるべきだ、という謎の観念がそれを邪魔する。それだけではなくおそらく嫉妬するようになってしまう。そういうあなた特有のルサンチマンが可視化されたのがSNSなどのネットを行き交う情報だね。もっと言えば映える画像や動画ばかりを衆目に晒して幸せの疑似体験をすることが流行っていたりするのも、ベースは羨ましいという妬みが原動力となっている。そう思うとおぞましい情報が毎日あなたの目に届く恐ろしい時代で在るとも言えるわけだ。
依存
そこに人生の時間を吸い取られるように設計されていると知ったらどうだろう。あなたが日常的に触れているそれらは、実のところ作者がいる。そしてその作者はそれらを巧みに使いこなすように日夜研究に研究を重ねている。どうやったら多くの人が自らの生み出したSNSに夢中になり、できる限りの可処分時間の中で使ってもらえるかどうかに、それこそ全集中しているわけだ。そうすることで、広告が売れ、思想をコントロールでき、価値観を思い通りに操ったりすることすらできるからね。そうやって現代では、特にミサイルや爆弾で物理的に制圧する必要すらない、占領や統治がネット上でできるようになった。よく考えてみてごらん。そんなものが出来たのはここ数十年だし、そもそもそんなものがなかったときは、先生や親の言う通りだったはずだね。今流行りのものに多くの人が依存するようになれば、あっという間に生殺与奪を奪われてしまうから気をつけた方がいいよ。
