好きを楽しむ
胆力
もう無理だと諦めたとき、その言い訳に科学や歴史やその他あなたの知っているあらゆる知識をフル動員して言い訳をさがすわけだ。そうやって、あなたは内発的な動機を外部のなにかのせいにして手放してきた。可能性はゼロパーセントだと思うから、その状態を探して当てはめている。それはそれですっきり収まったようで、実のところゼロパーセントという状態は安定的ではなかったりするね。なぜなら、諸行無常だからだ。常に物事は移り変わっていくわけで外側のなにかに押し付けたとしても、気がつけばそれも少しずつ変わってしまう恐れがあるね。あなたが無理だと思っているそれらは、永遠のそれではなくおしなべて儚い刹那の姿なんだからね。そうなるとあなたにとっては無理と断定した要因が揺らいでしまうわけで、ちょっと都合が悪い。だから今度は概念的な言葉でそれを補完しようとする。そう、それが運命なんだから、とかを言い出すわけだ。
諦観
よくよく見つめ続けてみると、あなたは簡単に無理だと決めつけていることが多い。それはそれを考え続けることに多大なコストが掛かるから、早く手放したいという省コストの行為でもあるね。諦めないでずっと楽しみながらやり続けていれば、いつか何かが起こるかもしれないことはおそらく気づいている。もちろんそれをやったところで、あなたの寿命が先に尽きる可能性もある。いわばどっちつかずで判定不能だね。そこでのキーポイントは、それ自体を楽しむことができるかどうかという基準が、無理かそうでないかの分かれ道となっていることだ。すなわち本質的な判断ではなく、あなたにとってのなにかという内側の要因で決めつけている。でもそれだけでは屁理屈が得意なあなたの脳を騙すことができないので、外側の比喩を引っ張り出してなんとか諦めさせているような状態だ。楽しいのならば誰になんと言われようとも、状況が変わったとしてもやり続けていればいいだけのこと。もっと大げさに言えばそれこそがあなたがこの世に生まれてきた意義だと断言してもいいだろう。
ペース
今は即断即決しないと間に合わないような、変化が激しい時代かもしれない。だからあなたの無理判定も素早くなっていくわけだ。でもその判定方法は古来から使い古されたものでしかなく、それを続けていて楽しいかということよりも、なにかいいことがありそうかどうかが中心となっているね。でもよく考えてみれば、その先に良いことやメリットがあったとしても、あなたの残り時間は今よりわずかになっている。あなたの思惑どおりに進んだとしても、それがようやく手に入る時期はもうすでに終わりに近づいているなんてバカげている話だね。そんなことよりも、今あなたが一番楽しむことができているかどうかの方が、現代風に言えばコスパ最高に違いないわけだ。その先に何があるとかどうとかは判断基準に入れたとしても、そんなものは誤差の範囲で楽しい人生にとっては全く影響がないね。要するに今が楽しいなら未来も明るいというのはどうやら間違いがないということになるんだよ。
