あり方となり方

日々

あり方

「私はどうありたいか」という問いに、あなたは向き合ってきたはずだ。しかし、いつの間にかその問いは「どうなりたいか」という形へとすり替わっていることに気づくべきである。「幸せのあり方」と「幸せになること」では、その背後に横たわる構造が根本から異なる。「幸せになるためにはどうすればよいか」という問いを立てた瞬間、それは「今は幸福ではない」という前提を置くことに他ならない。すなわち、幸せを手にするためには、現在の自己を否定し、変容させるプロセスを不可欠な条件として設けることになる。この問い方は、今のあなたを否定する前提から出発しているのだ。一方で、「幸せであること(あり方)」を問いの軸に据えるならば、それは「今、この瞬間をいかに幸せとして享受するか」という現実との対峙へと転換される。それは、今の自分を肯定することから始まる旅である。なぜか、この問いの立て方を僅かに変えるだけで、幸せな未来を追い求めるという遠い目標から、手近にある幸福を奪い取ることにすり替わる。この巧妙な歪みに、あなたは気づかないまま彷徨っているのではないか。

不幸

論理的な歪みによって生み出される「不幸」は、実は偽りの苦悩である場合がほとんどだ。それは身の丈を超えた災厄ではなく、あなた自身が立てた問いの立て方の誤りによって引き起こされている。間違った問いを抱え続けることは、本来享受すべき現在の幸せを感じられなくなるという弊害を生む。幸福になるために今の自分を犠牲にしなければならないという強迫観念は、あなたの現在を損なう。したがって、この誤った問いを正すだけで、あなたは今すぐ、本来の幸福を再認識することが可能になる。そもそも、この構造に気づき、問いを巡らせること自体、深刻な絶望の中にいる証拠ではない。真の不幸とは、幸せではないという現状すら認識できなくなることだからだ。この構造は、あらゆる不満に共通する論理である。一度、自分の抱く不満を精査してみるがいい。その問いの裏側に、本来あるべきはずの状況が横たわっていることに気づくはずだ。

視座

思考の枠組みを転換するだけで、即座に幸福へと至る道筋が立ち現れる。疑り深いあなたなら、それを信じ難いと思っているかもしれない。しかし、これは巧妙な魔術などではない。結論を言えば、今のあなたはそれほど不幸な状態にない。むしろ、恵まれた環境の中にいる。単に、目に見える成功や他者の物差しを当てはめることで、「ああならなければ幸せではない」という幻想に囚われているだけなのだ。他者の幸福の裏側には、想像を及ばすほどの犠牲や苦痛が伴うことも少なくない。それらを削ぎ落とし、表面的な成功だけを模倣しようとするとき、あなたは「幸せになりたい」という言葉の裏で、何かに怯えながらも、それと戯れている自分を楽しんでいるだけかもしれない。立ち止まり、問いを正す。それは、外側にあったはずの「幸せ」を、今この瞬間の自分の中へと取り戻す作業に他ならない。