眺望

日々

失敗

失敗を恐れるのは、失敗が生きる辛さそのものだからだ。だから、できれば成功とまではいかなくても、失敗の少ない人生を歩みたいと願ってやまない。それは生きることを放棄しているわけではなく、生きるということは困難が常に伴うわけで、それらの苦悩が生きている証拠でもある。そしてそれらは生きているという時間の中でしか起こらないという特性を持っている。ということは、逆に言えば生きることから解放されたいと常に思っているということでもあるね。本能的には生き残りたいという強い欲求の元で、でもそれはある意味失敗の連続を伴うものであり、それをできるだけ軽減しつつ生き残りたいということになる。なんだかよくわからないことだと思うだろう。でもそれをあなたは真剣に追求しているとも言える。苦難の連続はまさに生きていることそのものであるけれども、できればそれらを上手に避けて人生を終えたいわけだ。ここでますます混乱するかもしれない。ここで述べていることには論理的矛盾が見て取れるからだ。でもあなたはそれを知りつつそうしたいわけだ。

矛盾

生きるということは、失敗があるからこそ成功が際立つわけであり、まれにうまくいくとまではいかないまでも、いわゆる凪のような静寂が訪れるわけだ。できれば大きなうねりがないこの瞬間を維持していけたらと心から願っている。でもそれは一時のことであり、また波立つことぐらいはわかっている。それもできれば大時化までにならないようにとあれこれと画策するわけだね。そしてなんとか嵐を乗り越えて、また一時の静寂が訪れることの繰り返しだ。ということは、失敗は成功の伴侶であり、逆もまた真である。波が全く立たない状態では、あなたは生きていることすら感じ取ることができなくなる。かといって波風が大きくなりすぎると苦悩が増すので、できれば避けたい。成功でも失敗でもない間で常にあなたは揺れ動かされている。それがあなたが今ここにいるという証でもあるわけだ。そのあちらを立てればこちらが立たずという状況において、なんとか上手にハンドリングし続けてきたことが、あなたの思い出となっているわけだ。

視点

そうやって見ている場所を変えてみると、世界は一変する。実のところあなたは海そのものであればどうだろう。大きな波も潜ってしまえば静寂そのものであり、地上で起こる嵐も上空から見れば景色の一つとなる。すなわちあなたが見ている視点が変わることで、あなたが思うそれらは違う意味となるわけだ。成功をほくそ笑むとき、あなたは低い視点でそれを見ている。または大失敗して落ち込んでいるときもおそらく同じような高さで見ているだろう。ところが海の中に潜ってしまえば、いつもと同じ静かな世界となる。大地に吹き荒れる嵐に巻き込まれたとき、あなたはそこで苦難として知覚している。けれども、空高く飛行機で移動しているときは、嘘みたいな静寂がそこに広がっている。あなたがいる場所によって、いつもそうだと思っている世界が全く異なって見える。だからあなたが見たい位置から捉え直すことができるならば、あなたが望む静寂を得ることができるとも言えるわけだ。さて、あなたの人生はどこから眺めてみたいだろうか。