案ずるより産むが易し
思索
あれこれと考えることが良いことだと教わってきた。だからあなたはいつも先々のことを考え続けている。実はそれによって余計な負担となっていることに気づかない。もちろん思慮深さは、ときにあなた自身を助けてくれることもあるだろう。だからそれをやめることができないわけだけれども、あれこれと考えたところで、実際にはそのとおりにいかないことがほとんどだということも知っている。とにかくやってみることでしか、物事は何も進まないからね。だからある程度の楽しみの一つとして、あれこれと妄想するのはやりたければやればいい、ぐらいで今どきの合理性を追求するのならば、皮肉なことに何も考えないで行き当たりばったりの方がコストは小さいということになる。ほとんどの心配や不安は杞憂であり、実際には思いもよらないところで予定通りにはいかないことだらけなんだからね。であれば、思慮深さとか先々のことを考え続けているのはなぜなのか、について振り返ってみるとなにか大切なことに気づくきっかけになるかもしれないね。
不満と不安
安心したい、満足したいというとても大きな欲求がある。その正体は思い通りにすべての事が運ぶという、ある意味自分勝手な世界であれ、と言っているようなものだ。もちろんあなたはそんなつもりなど微塵にもなく、あなたが思い描く通りになれば、あなたが知る限りのすべてが幸せになると思っている。しかしながら一方で、あなたが思う幸せを誰かは不幸だと感じる人もいるのも知っている。でもあなたはどちらかというと、そんな人はできればあなたの周りからいなくなったら良いのに、とさえ思っている。価値観が違う人とずっと同じ場所にはいたくない、というのは正直なところだろう。とどのつまりは、あなたにとって素晴らしい世界とは、あなたと違う価値観を一切合切排除したそれとなっているわけだ。もしあなたがそんな人を周りから見れば、なんて自分勝手な考えなんだろうと呆れるかもしれない。けれどもあなただけは、それをしていることに気づくことさえ難しい。誰もがおそらくは良かれと思ってやっていることがぶつかるとき、あなたはどういう解決策を見出すことができるだろうか。
虚無
そういう意味では、この世界はすべて幻想だとか、虚無だという意味が少し感じられるだろう。あなたが思慮深く、良かれと思ってやることすべては、虚像でしかないからだ。もちろんその意味はあなただけにはある。だから究極的にはあなたがやりたいようにやればいいということになる。さらに言えば、やりたいようにしかあなたはやれないということでもある。どれだけ配慮しようとも、どれだけ広い視野で思索しようとも、そこにはあなたがいるわけだ。そしてそれを突き詰めるとあなたすら見えなくなるとき、その全貌の一部が見えるぐらいのものだね。正義や真実や観念や概念など、実際にはないものの言葉を駆使してあれこれとつなぎ合わせが上手になったとしても、現実社会における影響はほとんどない。そんなことよりも、あなたが手足を使って何かを生み出したり、なにかの行動をしたりしたリアクションが輪郭を揺るがしているのだからね。だから考えることに疲れたならば、何も考えずに反応をすればいいわけだ。それが正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかは実際にはその後であれこれと逡巡しているに過ぎないのだからね。
