ハンドルは離さない

日々

支配

気持ちが落ち込んだり、上がったりするのは、それがきっかけとなってあなたに行動を促しているからだ。悲しみはその向こう側の楽しみを見つけるための布石であり、憎しみはその先にある優しさの種であり、苦しみはそれを乗り越えることで喜びを得るための影である。だからそれらだけを取り出して評論しないことが大切なんだよ。感情だけに振り回されてしまうと、それらが本当にもたらす効用を得られないまま、その場でジタバタするだけで終わってしまう。寛容さとはそれらを感じないような鋼の精神力を手に入れることではなく、それらをそこに眺めておいて、そのまま見つめられるということだ。最近ではネガティブ・ケイパビリティとか言うみたいだけれども、できない無念さやそれによる怒りや悲しみを、感情に溺れてなんとかしようと焦って結論じみた答えをさがすことではなく、できないものはそのままに、感情もそのままにして、それらには振り回されないあなたがそこにいるということなんだ。

あなた

決して感情が何かを解決したりするわけではなく、決めるのはあなただ。あなたは感情を感じてはいるけれども、感情そのものではない。あなたが舵をしっかりと握っていることが大切だり、それを感情などに任せてはいけないということだ。ならそんな心の動きは不要ではないか、と思っているかもしれない。しかしながらそうではなく、あなたのそばで次々と生まれる喜びや悲しみ、嫉妬や不満などはポジティブもネガティブもない、たんなるあなたの行動を促すシグナルでしかない。シグナルが青になったとき、あなたは進むことができるけれども、真っ直ぐに行くのか、左右に曲がるのか、それとも引き返すのか、などはあなたが決めることができる。さらには、路肩によせて一旦停止することさえ可能だね。感情はあなたに情報を与えるだけであり、それによって自らをどう動かすかというのは、最終的にはあなたが決めることだ。そのことをしっかりと見つめていれば、感情にハンドルを握らせることはないだろう。

自動運転

目的地が明確にあるのならば、さらに感情がどうであれ自動でその場に連れて行ってくれる時代でもある。そこには感情はまさにエンターテイメントでしかなくなることに気づくだろう。淡々と流れる景色を見て、ああでもない、こうでもないと感情が湧いて出てくるけれども、それらはまさに車窓のように流れてはすぐに消え去っていくのだからね。まさに目の前のスクリーンに映し出されている映画を見ているような、そんな気分になる。いつのまにかそれに夢中になり、我を忘れてしまうのは、運転そのものがあなたではなく任せているからできることだ。複雑に入り組んだ道を行くわけではなく、おそらくは誰もいない道をまっすぐ進むだけのときに起こりやすい。だから感情に振り回されないためには、あなたがドライバーにならないと到底たどり着けない道を選択するのがいいね。予定調和でその他の選択肢がない道のりを歩む人生は、ほとんどが誰かが指示した道である。あえてあなたが気になる行きたいところに踏み込むならば、その自動運転を解除しなければならないわけだ。