その怒りはどこからくるのか
怒り
理屈は十二分にわかっているけれども、どうも腑に落ちないことがあったりするね。そうなる主だった原因は感情だ。なんとなく腹が立って仕方がないけれども、理屈では特に破綻はしていないことを目の当たりにしたときにそうなる。それであなたは、なんとか論理的に反芻して、どこかに破綻がないかどうかを何度もチェックする。それでも見つからないので、余計に腹立たしい感情が膨れ上がってしまうわけだ。そう、怒りを感じている時は、実は論理構造ではなく、あなたがこれまで我慢していたことが否定されたときだ。だからこそ焦って落ち着かない状況に陥って、怒りが爆発する。それは、よく子どもたちが言うところの、ずるい、という感覚に限りなく近い。ずるいとは、これまであなたがそれはダメなことだと信じて疑わなかったことを、いとも容易く突破されたときに起こる感情であり、ほとんどの場合その根拠はあなたなりの倫理観や道徳によってでしか支えられていない脆弱な部分とも言い変えることもできるわけだ。
盲点
あなたが当たり前だと無批判に受け入れてきたそれが、そのときに一気に無効化されると、虚しさと同時にそうであることを気づけなかったという後悔の念にかられてしまう。そしてその次に羨ましいという思いと同時に、怒りが込み上げてくる仕組みだ。それをルサンチマンなんてフランス語で言ったりするわけだけれども、その執念というか憎悪が爆発して、知らない人のどうでもいいことにさえ真剣に腹立たしく思ってしまうわけだ。冷静に考えればそんなことは全く持って必要のない、あなたが一番嫌う無駄の極みなんだけれども、なぜか人はそれによって日常の不満の解消先に選ぶことを厭わない。おそらくは正義の使者のつもりでいて、その天誅を下すことで感情のバランスを保とうとするわけだ。そしてそれには大義名分が必要なんだけれども、あなたの我慢というこれまでの蓄積した鬱憤がそれを裏打ちしている構造だね。そしてそれは万人が共感できる間違いのない価値観であるという、単なる思い込みや勘違いによって支えられているわけだ。
脆弱性
まさにそこがあなたの脆弱な部分であり、そもそもでいうとそう教わって育ってきたという過去の抑圧がそこにある。そんなことやっていいなら早く言ってよ、という叫びがそこにあり、できることならあなたもその快楽を享受したかったという妬みと同じ仕組みだということだ。だからそこに正義があるのかといえば、社会的な正義としてはかろうじて残存する要素はあったとしても、あなたには何ら影響もないことであれば、特に知らなくてもいいことだったりする。そしてそうすることで快楽を覚えるとすれば、それまでのあなたの我慢が解放されることだけであり、そこに社会性ははじめからは存在しない。けれども少しの共感を得られることで、爆発的に感情が膨れ上がるわけだ。もっと言えば、全くの我慢もなく、好きなことをのんびりやって過ごしている人にとっては、その行為自体が理解不能でもあるね。だから普段から気をつけないといけないことは、無用な我慢は手放していくようにすることだ。それが一番のアンガーマネージメントでもあるわけだよ。
