おふざけはオフラインの後で
おふざけ
踊るように生きる。それはちょっとしたハメを外せる安全地帯でしかできないことだ。そして、少しふざけることで打ち解けられるのは、ある種の他人の目からの解放の瞬間でもあるからだ。バカげたことを真剣にやれる場所があるということが、あなたの本来の姿を思い切って出す場でもあるわけだね。ところが最近の社会は衆人監視の目ばかりがどんどん強くなってしまう傾向にあるね。それはSNSやネット社会において、自由の雰囲気を纏っているようで、実際はその気軽さとは間逆な厳しさを突きつけているからだ。匿名性があるからといって、あなたを油断させたところで、実際にはそうではなく何気なく気を許してしてしまった発言が、デジタルタトゥーとして取り返しがつかなかったりする罠がそこにある。だから、気のおけない仲間内での少しばかりのおふさげが、牙を向いてあなたに襲いかかってくる。そこに悪意など全くなかったとしても、あなたのことを全くよく知らない人たちに一斉に吊るし上げられ制裁される危険な場所となっている。
安心できる場所
そういう意味では、現代社会において脇が甘いとすぐさまやられてしまうような状況ばかりが、あなたの身の回りを取り巻いている状況であるとも言えるね。ちょっとした気の緩みが、取り返しのつかないことになる恐怖は、あなたの安心を悉く奪っていく。一方で、そうであるのに、そこから離れようとしたくてもできないぐらいの魅力がそこにあるわけで、だからこそまさにその振る舞いに関して気を張ってないといけないわけだ。それはあなたが楽しんでいるように勘違いさせておいて、実のところすべてが監視されているというトリックをなんとなく感じているわけだ。少しも気を休める場所がない状況において、あなたがハメを外す場所を間違ってしまう恐れが常にあなたを抑圧している。それによって、余計にそのほころびを見つけることは容易くなるわけだ。そうだからこそ、これまで友人や仲間だと気を許していた人たちに、不意打ちを食らうような怖さによって、安らげる場所が、誰ともつながっていない、あなた一人の状況だけだったりする息苦しさと常に向き合う毎日となっているのではないかな。
寛容さ
誰しも完全な存在ではないし、あなたもそのうちの一人であるのは間違いないね。だからいくら気をつけていたとしても、少しのほころびが出てしまうのは避けられないわけだ。ところがそれによって足元を簡単に救われるような時代であるから、身近で懇意にしている人でさえ、油断できない状況にある。本音を語り合える仲間が、今後はどんどん貴重になっていくのは時代の流れだろう。単に街を歩いているだけでも、誰かに見られているかもしれないし、監視社会と言われて久しいけれども、あなたの痕跡をデーター上で捉えられないようにすること自体がとても困難になりつつある時代でもある。ましてやネットワークに繋がっていれば、大抵の場合はすぐに分析され詳らかにされてしまうわけだからね。だからたまにはオフラインにして、自然と触れ合うのもいいかもしれない。さらにいえばそれだけが唯一の安らぎの場所であるとも言える。もちろんその前後はきっちりと可視化されていることには留意しなければならないけれどもね。天網恢恢疎にして漏らさず、なんて言われているけれども、そこでのちょっとしたおふざけは、お天道様だけは許してくれるだろう。
