足りないが足りる
欠かせない
誰でもこれはっていう組み合わせってあるんだろうと思っているよ。例えばコーヒーにはこのクッキーが合うとかね。紅茶はまた違ったものが合うとか。いろいろな組み合わせが試されてきた文化みたいなものが出来上がっているね。お酒を飲む人だったら、やっぱりビールには唐揚げが欠かせないとか、いや、餃子の方が合うのかな。お酒に美味しいおつまみがあると、楽しいひと時が待っているね。美味しいお茶やお酒を少しいただくことで、なんだか心が開放されて楽しいよね。では、お茶やお酒を飲まないし、それに合う食べ物もなければ幸せな感情は得られないのかな。多くの人はそんなことはないことぐらいわかっているよね。でも、ある一線を超えてしまうといろんなことがコントロールできなくなってしまう。もうお茶やお酒が欠かせない人生になるね。そうなると一旦色々と制限された生活になるね。欠かせない楽しみがやがて中毒という病に変わってしまって、それが強ければ強いほど楽しみの粋を超えて人生が深刻になってしまうね。
願いと祈り
それでどうか元通りになりますようにと願うわけだね。そうやって願ったり、祈ったりするのは、今の状態が月のように欠けていると思っているからだね。何らかの不足を感じているという強い願いが祈りに変わる。でもどうせ何かを願うなら「満ち足りていてありがとう」と祈る方がいいね。足りないことを満たすためにお祈りすると、お祈りをすればするほど足りない願いがより強くなってしまうよね。それが習慣として身についているのなら、そこは十分注意した方がいいね。「今日も一日ありがとうございます」という想いを心の中で呼び覚ますぐらいがちょうどいいと思うよ。もしくは普段の雑念から無心になる瞬間でもちょうどいいかもね。
足りないもの
これがないとダメと思い込んだり、この組み合わせでないと不足を感じたりしている。欠かせないものなんて実はどこにもないんだよ。でもそうやって、これをやっとけば安心できる。そうして、それをやらなかったときに、不安になるということをずっと繰り返している。多かれ少なかれみんなに心当たりがあるんじゃないかな。ジンクスとか縁起担ぎとか。癖とかルーティンなんかもそうかもね。気が付かないうちに習慣化しているかもしれない。でもよく考えてみれば、その方法とか順番とか組み合わせとか、それなしでは生きていけないとか、それらの事柄の中になんらかの関係性があるかといえば、どうだろう。どこかで誰かが言っていたことを知らず知らずのうちに真似しているだけかもしれない。自分で生み出したジンクスなんていくつあるのかな。よく考えてみてよね。