欲ばり

日々

無私という欲

つくづく人は欲ばりさんだね。どこからともなく欲望ってやつは、いつも突然に湧いてくる。いやそんなことはない。私はそんなに欲はないよっていう人も、どこかで無欲でありたいという欲がある。まぁいずれにしろ、ああ、こうしたいなと思った瞬間に、それらの欲に囚われてしまう。そして囚われてしまったら最後、それを達成しないとむずむずして気が済まなくなるね。でも、大抵はそんなにすんなりと上手く行く事がないね。だから、それがトラウマになって、もう欲なんて捨ててしまおうと絶望とセットになってしまう。それで絶望を避けるための無欲となるわけだね。そうすると、もうどうしていいかわからなくなる。欲望むき出しもダメだし、それを捨てようという欲もこれまた同じ欲望になってぐるぐる巻きになってしまうよね。そうしてどっちに振り切ったとしても、またいつのまにか欲に囚われてしまう。その繰り返しは、あなただけじゃなくて、古来から人類の歴史も物語っているね。壊れたレコードプレイヤーが何度も同じところを再生し続けるようにね。

確かめるために

そこから脱出するには、視点を変えるしかないね。欲はいけない事と思うんではなくて、どうしてそう思ったのかという視点から全体を眺めてみる。すると、今まで気がつかなかった景色が見えるね。誰しも何かのきっかけがあってそうなったはずだよね。ああ、それは過去にそう思っていたから、それを繰り返しているんだとか、実は叶わぬ夢がそこにあったからとかね。結局のところ、満ち足りているんだよね。基本は何不自由もない幸せな毎日の中で生きているはず。そういう生活に飽きてしまっているから、何か欠けていることを自ら生み出してわざわざそうしているんだよね。だから、そもそも問題なんてどこにも見つからないね。真っ白の中で一つの黒い点を打つ。そうすると、真っ白な世界が際立つのと同じだね。

欲ばりさん

社会に交わって無意識に生活していると、そのシステムにどっぷり浸かって自分がどこにいるのかわからなくなってしまうことが多いね。だから何か際立つものを目印にするとわかりやすい。そうして社会が欲するがまま、競争システムに参画したり、それに反発したりしていつも自分がどこにいるかを確かめているね。どっちにしろ、どこにいるかを確認したいと思うがあまりの行動だけど、そうすることは社会にとっては思う壺なんだよね。手のひらでうまく転がされている状態にあるってことだね。そこから鳥の目のように上昇してそのシステムがそもそもどうしてそこに広がっているかという視点で見てみよう。競争ってのは支配の歴史だね。ようするに支配する欲でもあるし、支配されたくないという欲でもあるね。じゃぁ支配って何だっていうと自由を味わいたいってことだね。さらに自由って何だ?自由とは社会を支配するすべてのものからの解放かな。お、もしかして自由はすでにあなたの手の中にもともとあるんじゃないかな。だってこの世界はあなただけのためにこうして現れているんだからね。