美味しい
食べる
豪華でもなく、かといって質素でもなく、ほどほどに美味しいものを食べているときはとても幸せな時間だよね。そんな時は何かをしながらではなくて、しっかり目の前の食を楽しむ方がいいね。でも今はまずそれを味わう前に、スマホで撮影して、SNSで共有してから食べる時代だね。どっちかというと、「映える料理」をスマホに食べさせることの方が大事なのかな。そうして現代では「食」はもう文化というかレジャー化してしまっているね。それだけ明日食べられるかどうか、なんていう貧困はなくなって、「映える料理」を選り好みできる豊かさを皆が享受しているってことだね。食べるということに専念させるのではなくて、例えばロケーションが抜群とか、サービスが高品質だとか、歌って踊るショーや演劇を見ながらとか、とにかく楽しいことを足算して、単なる食べるということを、さらに良い体験にしているね。
本来の食
とにかくそういう雑音を全部排除していけば、今ここの「食べる」しか残らない。でもそれが一番味わうのにふさわしい至高な時間となるね。でも、もう「食べる」ことにそれほど集中できないんじゃないかな。食べながら、おそらくは目の前の料理ではなく、それ以外のことばかりを考えていないかい?明日のことをあれこれと考えてたり、昨日のことをいろいろ反省したりしているかもしれない。あるいは、この食事が終わったあとの段取りなんかかもしれないね。普段食事は狭いリビングでテレビやYoutubeとか見ながら、生きるために仕方なく食べているという感じかな。特に一人でいるときは、スマホを片手に食事をしていることが多いんじゃないかな。もう、食事がメインか、スマホがメインか。もしくはどっちも主役ではないかもしれないね。
とても新鮮
食べるということを、動物の世界に広げてみよう。動物は必要な食事を必要な時だけしているね。まさにそれらはすべて命がけで食べている。冷蔵庫もトラックもないから、自分が食べられる以上のものはそもそも獲らない。保存が効かないからね。まさに食べることは今ここのことだから、食べるということに集中せざるを得ない。もちろんそれを仲間に自慢して共有するスマホも持ってないから、毎回その場限りのことだね。同じ食事だとかでうんざりすることは一度もないね。決定的に豊かになった人類とは、食べることに対する姿勢が全く異なっていることがわかる。私たちは家畜を飼い、魚を養殖し、植物を育て、それらを自分が食べる量ではなくて、できるだけ多く必要以上に手にしている。それが豊かさの象徴だからね。でも本当に豊かで美味しく食べているのは、動物たちの方が自然の姿だね。そう考えると、本当に美味しい食事をしている人は現代にはほとんどいないってことなんじゃないかな。手の届かない希少な食材で、景色がとてもよくて美味しいワインなんかも一緒に楽しめるレストランの食事なんて、とてもじゃないけれど食事と呼べるのかどうか疑わしいのかもしれないよ。
さて、今日は何を食べようかな。