優しさ

日々

人に優しく

他人には優しく、自分には厳しくが一番理想なのかな。このパターンは4つあるね。ある人は、他人にも自分にも優しい人。また、人によってはどっちにも厳しいという人もいるかもしれないね。そして、一番嫌われるのは、やっぱり他人には厳しく、自分には優しいという人なのかな。さて、あなたはどのタイプだと思ってるかな?優しさは時に甘さと呼ばれることもあって、必ずしもいい言葉として使われない時もあるね。優しさが罪になってしまうこともある。一体優しさって何だろうね。

他人が決める

まぁ、そんな自己イメージと周りから見たイメージが一致していたらまだ良いんだけど、実はそれはあなたが決めることではないんだよね。そう、優しい人とか厳しい人っていうのは、あなた以外の人が判断することなんだね。と言う事は、自分であれこれ考えて、どっちかというとなんてそのつもりになっているとしても、それは全く意味がないってことになるね。むしろその自分で妄想しているセルフイメージに囚われすぎると、今度は実際の自分を見失ってすべての人生を他人に乗っ取られてしまうから気をつけた方が良さそうだね。だってそれは人の判断を常に気にして生きていくことになるからね。そんな人周りにいるよね。要するにその問題はあなたの問題ではそもそもないってことだよね。あなたの問題ではないことなのに、何とかしようとしてもそれは取り越し苦労となるだけだね。

優しさの向こう側

そんな、身も蓋もないことを言うだけだと混乱するので一旦整理しよう。優しさは相手に伝わってこそのもの。あなたはそれを伝えているつもり。でも、その通りには大抵の場合は伝わらないね。嘘だと思ったら今度機会があればいろんな周りの人にどんなイメージを抱いているか聞いてみるといいよ。はてさて、思った通りの答えが返ってくるかな。もちろんセルフイメージと一致すればいいんだけどね。仮に自分が思ってたのと違っても、だからといって悲観するのは早計だよ。優しさの向こう側には何があるのかをそこで見つけることが出来るからね。簡単に言えば、優しさの度合いっていうのは、自分がそこに強くいるかいないかという事だよ。自分はこんなに思っているのに、という思いは自分がやっぱり一番であるという根っこがそこに潜んでいるよね。実はそれは優しさではないね。自分がそこにいないかのように、完全に周りに溶けてなくなっている時こそ、そこに本来の優しさが生まれるのだから。だから、最初の自分は人に優しいとか厳しいとかという分類は、すべて自分がどう思うかという発信になっているが故に、どれもこれも本当の優しさや厳しさではないんだよね。他人が決める自分の姿に一喜一憂するのはやめて、自分が信じる道を行くことが大切だね。それを自信っていうんだね。ん?なんか矛盾しているかな?でも、巡り巡って結局はその自信が優しさの種を生み出しているんだよ。