いただきます
いただきます
命をいただくと言うこと。それは自然の摂理となっているね。人間が生きるということは、その分他の命をいただかないと生きていけない。動物的に考えると他の生きものと全く変わらない存在だね。今は自分が仕留めた獲物を噛みちぎって食べるわけではないね。でも、それは見えないところで誰かがしてくれている。うまく見えないようにしているけれどもね。そうして命をつないで生きている。今ここにあなたがいて、今日もおいしく命をいただいている。そういったご縁があっての存在だよね。そのご縁がどこかで綻んだりすると、途端に今ここに存在することができなくなってしまうかもしれない。そういうのを諸行無常って言うんだよね。今ここにいることは、そういう意味では奇跡なんだよっていうことを教えてくれている。
美味しく食べる
だから、いろんな好みとかあるだろうけれど、基本は美味しく味わって、噛みしめて食べるのがいいね。いつもの食事はどうだろうね。スマホ片手にとか、テレビを見ながらとか、ネットしながら命を食べてはいないかな。食べるということは、もちろん毎日のことでそれは日常だから、ついつい省力化して「ながら食べ」をしてしまうね。で、味はどうかな。特に味わいとかも感じないで、ただ生きるために食べているのではないかな。食べるということをあまり大事にしていないというなら、それはとてももったいないことだし、そもそも生きるために命を美味しくいただくという原点を忘れてしまっているね。
食べられる奇跡
生きているということは、当たり前ではないってこと。でも生きているものとしては、それは大前提になっている。だから生きていることがすべての始まりだね。死んでしまっていたらどうなのかも想像すらできない。だから、その延長線上にいろいろな出来事があり、悩み、苦しみなんかもそこにある。もちろん喜んだり、楽しんだりもある。また、いろんな事件や出来事が目の前の現実に広がるね。現実とは生きることそのものってことだね。やがてまだみぬ死の世界はどうなのかはわからないけれど、今ここにいて目の前に広がる世界は、おそらく自らの死でどこにもなくなってしまうかな。そう、やがてこの食べることも寝ることも美味しいっていうこともすべて見えなくなるんだよね。当たり前と思い込んでいることはすべて消えゆく運命なんだよ。その奇跡を今ここで体験しているということだね。
毎日いろんなものをいただきながら命を存えている。その感謝がいただきますという言葉。そのおかげで命という奇跡がつながっている。もはやその意味すら感じずに過ごしているとしたら、とてももったいないことなのかもしれないね。食をもっと大切に感じながら、この奇跡がつながることに感謝しよう。