確かなもの

日々

目で見る

世の中はほとんど映像で出来ているね。目の前に広がる世界は、あなただけの景色でしかない。そんな事ないと思うよね。でも自分以外の他の人も同じ景色を見ているということは、どうやってもそれを証明することはできないね。仮に他の人も同じものを見ているとしても、あなたと同じように心にいろんな思いが浮かぶかというと、人それぞれに全く違ったものになるよね。それを見てどう思うかは、千差万別になるわけだよ。同じリンゴを見て、それを好きと思って見ているのか、それともみかんの方が好きなのにと思うのか、そもそもリンゴに興味もなく他のこと考えながら見ているのか。同じリンゴはそこにあったとしても、そしてみんなに見えていたにしても、違う世界をそれぞれは生きていることになるね。

あなたも景色

なら、この世にあなたが思うような確かなものはどこにも存在しないのかという問いに行き着くね。共通のルールというか、これはきっと普遍なものだなっていう何かはきっとあるとあなたは信じている。確かなものを探すのが人生そのものだとも言えるかもしれないね。そうして今度こそ確かなものをこの手に掴んだと喜びも束の間。何かが変われば全てが無に帰す。そう、その「確かなもの」の存在も、条件が変われば何の意味もないものに一瞬で変わってしまう。存在とはそれ故に儚いもの。それは周りのことだけではなくて、そこにいると思っているあなたでさえ、景色の一部なんだよ。それ故にあなたも危うい存在の一部でしかないんだよ。

確かなもの

確かなものはあなたの中にある。それはあなたがここにいると信じていること。それを確かめる術を身につけていることだね。信じるに値する、ここにいるという感覚は、だからこそ大事なんだよね。地に足がついている。呼吸を感じる。風や匂いを感じる。この感覚が唯一の「確かなこと」だね。それらを総合的に処理して脳や心が目の前のスクリーンに映像を映し出す前の情報とも言えるね。拠り所にするのは、脳が創り出す前の感覚をもっと大切に生きていくこと。そうする事で、余計な妄想から脱出する扉が開かれるよ。映像がまだない、さぁ光が解き放つその瞬間を感じて生きる。それがまさに生きるということ。光とはあなたのことだね。あなたという映写機が映像を映し出していつもの日常がそこに映し出されているのだからね。だから、その確かなこと以外の映像は、楽しむためのおまけぐらいに捉えておこうね。