言い訳
誰のために
きちんと物事の経緯を説明して、それを了解してもらうことを言い訳という。言い訳はよくないことだと一般的には捉えられているね。でも説明責任をきちんと果たしている感じなのに、どうして言い訳はよくないこと、できれば避けた方がいいことだという共通認識があるのか。例えば約束の時間に遅れてしまったとき、その事情を相手にわかってもらえるように説明をする。その時はたまたま電車が遅延していて、時間通りに到着する目論見が外れてしまって仕方がなかったと理由を説明する。これは言い訳と呼ばれるかな?それとも理由を説明しているだけだと思われるかな?どうやらその違いはほんのわずかなことのようだね。
それが原因
そうなった事情を事細かに説明すること。説明するということは相手のためにしていることだね。だから、できればわかってくれたらいいなという、了承して欲しいという思いもそこにあるね。言い訳も同じように、事情を事細かに説明して、できれば理解して欲しいという思いから、思わず口にしている言葉たちだね。さて、これらの差はどこにあるのだろう。行為としては全く同じで、見かけ上は変わらないように見える。でも人はそれが説明責任から理由を説明している行為か、自分は悪くないという思いをあれこれと説明しているフリをして伝えようとしている行為なのかを瞬時に見抜く力があるね。ここまでをまとめると、説明責任は、聞き手のために、言い訳は、自分のためにそれぞれの意識が向いているってことの違いと言えるだろうね。
言い訳の存在意義
そもそも、言い訳がよくないと直感的に思うのは、相手のことを思っての行為じゃないという時点で、そう思っているね。そう、それは愛情や思いやりの延長の行為ではなく、自分は悪くないということだけを相手に伝えるがために、あたかも特殊な事情や不可抗力でどうしようもない条件があったかということを、物語仕立てで説明している行為なんだね。だからか、なぜだか人は簡単にそれを見抜くことができるんだよ。目には見えない心の向きを感じ取ることができるのは特殊な能力ではなく、皆に備わっている平凡な力なんだよね。たぶんそれは、言葉や文章で理解しているわけではなく、それ以外の行動や仕草なんかでわかるんだろうね。少なくとも論理的に判断しているわけではないようね。
保身
そもそも保身のために弁明をしているとするならば、それは必要がないね。あなたの作り出したこの世界で、あなたそこにいる。あなたがそこにいるためには、いろんなあなたと違う人が必要だね。それもあなたがそうしたこと。それもこれもあなたをここに存在させるためには不可欠なものだからね。その舞台の上であなたは、あなたのせいでそうなったことを説明してわかってもらおうとしているね。言い訳と事情を説明するのと、決定的だけど、ほんの小さな差がもう一つあるね。それは、言い訳は誰も聞いてもないのに勝手に話していることが多い。一方で説明は誰かに求められるからしているね。誰にも求められていない、あなたが求めているから始める説明は、すべて言い訳だと思われているってことだね。そう、言い訳はあなたがしたい欲望の一つなんだね。