占い

日々

明日の運勢

占いを気にするタイプの人って意外と多いみたいね。まぁ、情報化社会と言われ大量のいい知らせよりも悪い知らせの方が多くて、見たくないけれどつい見てしまうような毎日を送っていると、明日がどうなんだと気になるんだろうね。びっくりするのはテレビでもネットでも、新聞でも雑誌でもあらゆるところに占いコーナーがあるってこと。ちょっと前まではこんなにあったかなと思うぐらい多いね。ということは、やっぱりあんまり信じないけれど、そう言われてみればちょっと気にしているなんていう人が多いってことだね。占いなんて誰も興味がないのなら、これほど様々なメディアで占いが取り上げられることはなくなるだろう。

導かれている運命

占いのパターンも大体同じ。占いの種類は多少増えたのかな。星座とか四柱推命とか干支とか生まれ月とかそれぐらいだったのが、動物占いとかしいたけ占いとかインドの占いとか増えているね。タロットカードやあみだくじみたいなものは対面でしかできないと思っていたけれど、最近はネット上で占っている動画がたくさん出てくるね。やっぱり運勢や運命がどうなっているのか気になって仕方がない人が多いってことだね。それを聞いて人生の道標にするんだろうね。今では目的地さえ入力すれば乗り換えや道順を示してくれる便利なナビゲーションソフトがあるぐらいだから、人生のナビゲーションとしての占いは合理的なのかな。

巨大化するデータ

でも、それらには最大の弱点があるね。今はAIとかでいろいろアドバイスしてくれたりする機能が流行り始めているね。今は稚拙だけどいずれはかなり優秀になっていくのは間違いないね。でもそのかなり優秀になったとしても克服できない壁があるんだよ。それはデータベースにない情報には決してアクセスできないってこと。データにないからそこから連想してデータがあるかどうかを確かめる行動や行為を起こすことができるのは、やっぱりAIでは今のところ難しいみたい。いずれはできてしまうのかもしれないけれど、近未来でも実現可能性は低いんだよね。簡単に言うと地図はあらゆる情報で精緻になっていくからほとんど大丈夫なんだけど、人生のように何が起こるかわからないものはやっぱりまだまだ苦手みたいね。現実の複雑化した関係性を何万、何億って追っていくことはコンピュータは得意なんだけど、その出力結果に因果関係がないとお手上げになってしまうね。そう、今のところ傾向や志向までは分析できても、本当にそれをやるかどうかがどうしても計算できないんだよ。

記号化された運勢

占い好きのあなたは明日の運勢を楽しみに見ているね。きっとドキドキしながら見ているのかな。いいことだと思うよ。ただ、明日の金運や仕事運や恋愛運とかの文言はおかしいと気づかないかな。運ってそれだけ?ここにもデータの限界があるね。形が決まった短い文章で端的に表されている。これが明日の運勢なのかとびっくりするけれども、多くの占い好きにはたまらないんだろうね。占いなんて信じないと思っていてもついつい気になって見てしまう。さらにいいことだけを参考にしているっていう人が多いのかな。悪いことは占いだから当たらないと信じているってことだね。それもいいことだと思うよ。でももっと素晴らしいのは、占いなんて人の書いた文章に合わせて生きることをやめることだと思うよ。おそらくいつも人の目が気になって仕方がない人生なんだろうね。占いと戯れる時は楽しくが基本。当たるも当たらないもそれはあなたがそうしているんだからね。