信じて委ねる
乗り物
例えば見知らぬ土地に出かけた時、地名を聞いてもピンと来ないね。だから行きたい場所に行こうとするも、どうも普段とは勝手が違う。ましてや外国なんかだと、方向もよく分からない上に、地名も全く馴染みがないし、そもそもその地名をどう発音するのかさえ分からない。今いる場所からどれほど離れているのかさえ想像もできないね。さぁ困った。そういう時にどうするかというと、とりあえず信じて委ねられる乗り物で移動するしか方法がないね。例えばタクシーや乗合バスなんかだね。で、人の良さそうな運転手を見つけていざ出発となるわけだけど、目的地に到着するまであなたはどうすることも出来ないね。もうなすがままにじっと座っているしかない。なかなか着かない時に、ふと一抹の不安がよぎる。そうなったら全てが疑わしくなって一人脂汗をかいている。似たような状況に、勝手知ったる土地の今ここでも起きているんじゃないかな。
疑わしいことだらけ
そんなことをいつでもどこでも繰り返しているんじゃないかな。見知らぬ土地でなくても、いつも通りの暮らしの中でも、ふと疑いだしたら同じことになるね。やがてあなたはすぐに不自然な疑わしいところを見つけてしまう。ほら、やっぱり見つかったってね。そりゃ探せばいくらでも見つかるよ。そうして名探偵になったあなたは、これまたいつも通りの疑心暗鬼の塊に変わる。疑い深いのではなく、慎重派なんだと思っている。何に慎重になっているのかはうまく説明できないね。そんなことでは身動き一つ取れなくなる。もう、信じて委ねてしまえばいいのに。いつもそれが出来ないのはどうしてだろうね。
バラバラ事件
その答えは一つだけだよ。ひとつの大きな繋がりのなかで成立している事柄を、バラバラに切り離してしまっているからだね。信頼するっていうのは、もう何が起きても全て受け入れるということ。あらゆる出来事は全て繋がっているという直感だけしかそこにはないよね。それを疑うということは、繋がった一連の大きな動きをバラバラに切り離して、その一つ一つを検証する作業のことだよね。だから、探せばいくらでも見つかってしまうというわけだね。バラバラにされた言葉という部品の一つ一つには、なんの意味もなくそこにあるだけのものだからね。例えば焦って白黒つける事がほとんど間違っているのはそういう事だね。文脈から切り離した言葉になんの意味もないのはむしろ当然のことだね。だから繋がっていることだけを見ていればそれで十分なんだよ。その繋がりは直接は見えない。見えないけれどそこにあるんだよ。それを感じ取る力を信じることが生きることそのものなんだよ。