いろいろ

日々

どんな色

色はいろんな名前がついているけれど、その色名を使うとき、実は一番似ていると思う色の名前を名づけているだけに過ぎないね。まさにその色だということは少なくて、むしろ、ざっくり言えば青っぽい緑とかそういう表現にとどまってしまう。要するに現実に目の当たりにしている色にはグラデーションがあり、いろんな色が混じっていて、すべての色をましてや言葉で伝えることはできないね。詳細に伝えるのは骨が折れるし、決して思った通りには伝わらないから、一番わかりやすくて近い色を言うことで、大まかに伝えているね。だから彩色が下手な人は、ひまわりの花は黄色一色、太陽はなぜか赤一色、空と海は青一色とかにしてしまうね。わざと一色で表現することでこの世にはないデフォルメされた別世界が表現できることもあるけれど、大抵は細かく表現するのが面倒だし、そもそも詳細に描く技量もないからベタ塗りにしたりする。それと同じことが言葉で伝える時にも起こっているね。つまりは、信号機の青は実際どう見ても緑なんだけど信号は青で通じる世界になっているってことだね。

いろいろ

つまりは色の存在はそれほど不安定で一定ではないってことだね。緑色に黄色い光が当たると黒に見えたりする。照らされる光の色も同じではないね。空の色は青一色の時って実際はあるのかな。白い雲も真っ白の雲として見えるのはどれぐらいの時間なんだろうね。全てのものは照らされる光とそのものの状態によってさまざまな色に変わるってこと。そんなの当然で、赤い雲とか銀色の雲とか見たことあるはずなのに、それは例外として処理されているね。それはどうしてそうなるのかをちょっと考えてみてよ。雲は白ということにしておいた方が説明するのに都合がいいからかな。説明するために実は実際とは違うものにしていることに気がづいたね。そうやって実は現実を抽象化して捉えるのが今の思考の枠になっているね。つまりは、その枠が今見えている世界の枠なんだよ。

何が見えている

見えている世界が現実の世界だと思い込んでいるけれど、たとえば正確に色を表現することすら億劫になるほどの情報量がそこにある。それを全て処理できないから、ありもしない色で表現して共通化しているんだね。その枠組みでまた現実を認識している。その現実は実は現実ではないってことだね。デフォルメされたどこにも存在しない枠組みでしかあなたは現実を認識できないというパラドックスがそこにある。悲しいかなあなたはどう頑張っても架空の枠組みを超えた実際の現実を見ることはできないというわけだね。デフォルメされた枠組みからありもしない色を見るしかないってわけ。それでもあなたは赤色が好きって思っている。そう思えることが幸せなんだよ。