頭の良し悪し
学歴と頭の良さ
あなたは頭があまりよくないと思っているね。どうしてそう思っているのかというと、人に自慢できるほどの学歴がないから。でも、頭の良し悪しとは一体なんだろうね。基本的な理解力とかそのための義務教育とかずっと前から言われているけれども、果たしてそれは本当のことなんだろうか。今は定期テスト期間中で、朝学校に向かう電車に乗っている学生さんたちは今日のテストの範囲の問題集や教科書を一所懸命に読んでいる。熱心で素晴らしいと思うけれど、でもそれは覚えているかどうかのテストでしかないね。なんだか、誰かに言われたことを理解して覚えているかどうかばかりが問われるようになってしまったね。誰かに言われたことを覚えることが頭の良さのものさしとして使われるようになったけれど、そのおかげで、どんどんそれぞれの能力が磨かれていっているのだろうか。いつまでこんなやり方を続けていくんだろうと、ふと疑問に感じたよ。
テストの功罪
先生や保護者は、テストがあるから嫌でも勉強すると言う。嫌でも勉強させるためにテストをする方が良いと言う。思い切ってテストをなくした学校もあるけれど、まだまだごく僅かでしかない。勉強したかどうかの効果を測定するのに教科書の範囲を限定して、クイズみたいな問題集から出題されて、当たれば合格、外れれば不合格という世界に留まっているね。それも柔軟で感性の豊かな若い世代に強制的に課せられている。なんだかとても勿体ない時間だと感じるのは世間にそぐわないのかな。アタリハズレで丸の数を数えて得点化して横並びで比べられるからとても便利なんだろう。もうそれ以外の能力を開花できる可能性に蓋をしてしまっているような気がするね。だからクイズ王とかは学歴が高いことがタレントになるのかな。
誰かの都合
結局そういったやり方は、どこまでも教える側の都合で決まっているね。言った通りにしているかどうか、教えた通りに答えられるかどうかを見ているだけだね。だから従順で素直な生徒が高く評価される仕組みのまま、一向に変わる気配がない。それが今のところ点数化されて、序列を生み出してそれ以外の能力は完全にないことにしているね。潜在能力を引き出すよりも、従順で素直さと大人にどれほど忠実さを求めらている。だから子どもたちは息を殺して思考停止しているような気がするね。とにかく覚えることの量をどんどん増やすことで息つく暇もなくすることに、先生たちは頑張っている。それがどれほどの可能性を奪っているのか分からないのは、自分たちもそうしてきたからに過ぎないね。自分たちがしてきたからそうするのはまさに思考をやめているね。みんな思考をやめたまま今日も問題集とにらめっこ。はてさて、本当にこのままでいいのかな。