言葉の世界

日々

すべてを知っている

いつも通りの毎日を送っている。何気ない普段の生活だね。そりゃ多少のトラブルが起こったり、面倒なこともあるけれど、なんだかんだで大ごとになることもなく過ぎていく。渦中はもう必死でこの先どうなるんだろうと心配になるけれど、それもなぜかなんとかなって今があるね。世の中はまだまだ知らないことばかりだから、そうやってよくわからないことが起こってしまって対応に四苦八苦している。そりゃみんなお見通しなぐらいの知恵と経験があればもっと幸せな生活が送れるはずって何となく思っている。でも、いつも起こっているその出来事は、みんな知っていることでできているんだよ。あなたが知らないことは目の前には決して現れないんだ。

言葉にできない

全部知っているからそれを認識できるんだよね。本気で知らないことはあなたの目の前にあっても認識はできない。まさかこんなことが起こるなんてと愚痴を言えるということは、それを知っているからこそなんだよ。英語がわからないと英語を聞いても音にしか聞こえないようにね。いや、英語はほとんど知っている範囲にある。カタカナでも真似ができるから。ところが大陸の奥地の少数で暮らす部族の言葉なんて、もう鳴き声としか聞こえないね。その部族の考えている概念をなんとか理解しようとしても、おそらくは動作や表情から読み取るしかない。動作と表情は言葉が必要ないコミュニケーション手段だからね。手がかりはそれぐらいだけど、それも笑顔だから好意をもってくれているかどうかは謎のままとなる。

あなたの言葉で世界はできている

得体の知れないよくわからないもの、とあなたは誰かに伝えることができる。それは白くてふにゃふにゃしていて突然現れて消えるんだよ、とかね。それはそういう概念を言葉で共有している時点ですべて知っているからこそできることだね。そう、言葉化できる時点で知っているということ。雑音のような声を聞いても、雑音のような言葉として認識できるわけだ。だから世の中のすべてはあなたの言葉でできているね。つまりあなたの言葉にもないことはあなたの目の前に現れることはないってこと。認識すらしていないから起こっても起こってなくてもあなたは気がつかないね。そう、わからないことだらけの世の中というあなただけの世界が目の前に広がっているんだよ。それってすごくない?