多様性
多様性
今は多様性の時代だとかよく言われるね。さすがに自分の価値観を他人にも押し付けることはあまり良くないということは、なんとなく気がついているね。けれどどうだろう。本音のところは自分が思うがままにコントロールしたいんじゃないかな。人はそういう知性とか理性を思い出すことができる知的な存在であろうとする傾向にあるね。でも本音は違うところにあったりする。本能と理性との葛藤なんだろうか。自分と違う考え方や趣きの人を敬遠するのは本能的な部分かな。
違うこと
とにかくあなたとは違うということを感じることから始まる。違うということをどう捉えるかという問題を突きつけられているね。違うことを認めようとすることが、ひいてはあなたも誰かと違っていることを受け入れてもらえるという論理だね。でも実は、あなたは他人に認められたいけれど、価値観が全く違う他人をあなたは認めたくないんだよね。そう、自分は色んな人に愛されたいというだけだね。それが本能だと感じている。でもあなたが愛されたいというなら、まずは他人を愛しなさいといわれる。はじめはそれがどういう意味なのかよくわからない。でもそれがだんだんにわかってきたのが本音だね。
特別なあなた
あなたは誰よりも一番の存在でありたいと思っている。誰よりも愛される存在でいたいし、大事に思われたいね。特別な存在でありたいといつも願っている。そうやって強く思うことで、ぼんやりとした周りとあなたの境界線をはっきりくっきり際立たさせることが必要になってくるね。だから、あなただけが周りからどんどん切り離されてはっきりくっきり浮かび上がる。もはやそうなると多様性を認めるなんてこととは全く逆の世界がそこに生み出されている。でもそれでは特別に愛される存在にはなれないから、境界線をぼんやりとさせるための多様性だとか持続可能性だとかそういうキーワードでごまかしているに過ぎないね。人に優しくとか、生き物に優しくとか、地球に優しくとか、環境に優しくとか、生物多様性がどうとか、LGBTQがどうとか、実はあなたとは関係のない遠く離れたことだと思っている。特別なあなたは、多様性を認める社会とは全く関係ないね。だから寛容なふりができるんだね。つまり、究極的に言えば自己中なあなたはそれだけで多様性の渦にいるからそれでOKなんだよ。そのままでよくて、変に周りを気にしなくていいんだよ。特別なあなたも多様性のひとつなんだからね。